先日、ギュスターヴ・モロー探求 をした際に(探求は大袈裟ですが・・・)、

「同時代の文学者の中でモローに一番近い美意識を共有していたのは、小説家のフロベールではないか」

という記述がありました。


フロベールは、1872年8月の姪に宛てた手紙に、こう書いています。

わたしは、ときどき、ひどく人付き合いが悪くなることがある。パリでも何人かの人たちが(とりわけ、画家のギュスターヴ・モローが)わたしと同じ病気、つまり、大衆に対する耐え難い嫌悪感にとらえられていることを知っている。

社交界やジャーナリズムとの付き合いをほとんどせず、

アトリエにこもって禁欲的な独身生活を送っていたと伝えられるモローの純粋な芸術家的生き方に、

「クロワッセの隠者」と呼ばれた自分の厳しい生活を重ね合わせ、

大いに我が意を得たりの思いを、フロベールはもっていたのではないかというのです。

フロベール「ボヴァリー夫人」挿絵


そこで、ものは試しとフロベール作で一番有名な「ボヴァリー夫人」を

読んでみたわけです。


文学史上、裁判沙汰として有名な「ボヴァリー裁判」と「チャタレー裁判」。

フロベールの「ボヴァリー夫人」はまさに前者において、

風紀紊乱の罪に問われたものの、結果的には無罪となります。


そのときに、フロベールが「マダム・ボヴァリーは、私だ!」という言葉を

残したことでも有名なわけですけれど、

この発言の真意はどこらへんにあったんでしょうか。


あらすじで楽しむ世界名作劇場 」ではありませんけれど、

読んでなくても、「ボヴァリー夫人」と聞けば、

「有閑マダムの、火遊び物語なんでないの?」くらいは思いつくのですね。


ただ、これで終わりにしては、まるで昼下がりの帯ドラマみたいなものなのですけれど、

さすがに文学史に残るには、それだけはないわけです。


先のモローの記事でも、女性の躍進といったことに触れましたけれど、

まさに同時代にあっては、ボヴァリー夫人は「時代の申し子」のようなところがあったのでしょう。

解説には、このような説明があります。

女性たちは、教育を受けて知的になり、文学に親しむ。そして、フィクションの世界に魅せられて、現実離れした夢想好きの女になる・・・「ボヴァリー夫人」は、(七月王政時代)当時のブルジョワ女性一般の精神風土を描いた作品と言えるだろう。

こうした(男女の別はともかくとして)同時代的な一面を切り取る意味において、

「マダム・ボヴァリーは、私だ」と言ったフロベールの発言は、

同時代を活写した写実主義者としての宣言とも受け取れるのではないでしょうか。


一方で、この作品はボヴァリー家になにくれとなく関わりを持つ薬剤師オメーの

俗物ぶりを読む小説でもあります。


新しい物を何でも有難がる半面、世俗的な権力に媚びて勲章を欲しがるオメーを描くことで、

先の手紙にもあったような「大衆=新興ブルジョワに対する嫌悪感」を露わにしているものと思われます。


と、ここまで見てくる限りにおいては、

フロベールとモローの芸術面における類似性を必ずしも見出すことはできません。

おそらくは、もっと深い探求が必要なのでしょう。

さもないと、フロベールもモローも、同じギュスターヴという名前だったというような

チープな結論になってしまいますから・・・。