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社会人になったら読んでほしいブログ

社会人生活も20年目。20年間の雑言プラス転職2回に海外赴任2回の経験をつらつら書きます。若い社会人の方の役にたてば良いと思います。そのほかは住んでいるシンガポールネタなどを書いていきます。

会社によっては男性でも頭髪にパーマがokだったり、私服がokだったりとこの10年ほどで一気に様変わりしてきたように思う。

スーツさえ着ていれば良いという時代じゃない。しわくちゃのスーツでは格好悪い。

値段の問題ではなく、小ぎれいにしておくことが社会人としてのエチケットだと思う。

どんなに高いスーツでも消耗していくもの。

僕の場合、新入社員当時は丸井などデパートでデザイナーズブランドの1着10万円ほどのスーツを購入していたが、2年ほど着るとお尻やひざがすれてしまいがっかりな状態になってしまうので、デパートのセール品だとか、デザイナーズブランドにこだわらないことにした。

ものを粗末にしろということではなくて、定期的に新しいスーツを着ていると、見る人はきちんと見ているものであるということを意識したい。

それがビジネス面でも良い影響を与えることもあるのだから面白い。

 

 

 

 

転職して半年ほど経過してようやく新しい業務も板についてきたと感じるようになっていた。

このころには、担当業務だけでなく、その前工程や後工程の業務をしている人にも積極手にコミュニケーションをとり、自らの範囲のとどまらず、貪欲に知識を得ようとしていたと思う。

自分のポリシーとして、言われたことだけやるのではなく、何かしらの付加価値が付けられないとダメだと思っている。

業務プロセスの改善にしかり、報告フォーマットの報告にしかり。

転職した会社(正確には僕の入った部門)は世間的には自由だと言われている一方で、かなり保守的な運用をしていたので、新しいことを提案すると変える必要がないのではないかという反発によくあったのを覚えている。

言われたままにすることは楽で良い。自分がそれで良いと思えばそれで良いと思うけれど、僕は何かしらの変化をつけていきたいと思っている。

リーマンショックによって世界経済は一変。

各企業は急速な業績悪化で雇用をカットする事態となった。

入社したばかりの自分は試用期間の身、国内外グループ会社も含めた激しいリストラが進む中、自分自身がこのまま試用期間が終わって解雇されるのではないかと本当に肝を冷やした経験がある。

無事に試用期間が終了し、正社員の身分を保証された時は本当に嬉しかった。

人生には思いがけず訪れるピンチがある。

災害もしかり、人災もしかり。

どのような状況になっても自分を信じることしかないと思う。

頑張れば必ず良いことはある。

 

そうこうして入社し、BPO先のインド人をコントロールし、入社間もないのにCFOにプレゼンしたりと忙しい日々を送っていた。

この頃は、為替ディーラーとして為替のリスクヘッジを担当していたため、朝は早く出社し、12時間くらいは会社にいたように思う。

新しいことを吸収する楽しさに加えて、周りの同僚のレベルの高さがとても刺激的だった。

それまでの前職でも優秀だと感じる人に何人かは出会った感があったが、大企業では人材の層の厚さが違う。

そういう意味で、優秀な人材を選んで採用する人事はすごく良い仕事をしていると感じていた。

環境は人を作るし、変えると思う。

楽がしたければそうすれば良い。でも、成長したいならば、よりチャレンジングな環境に身をおくことをお勧めしたい。

 

お盆休みを前に退職を告げた。

特に自部署の部長から引き留められることはなく、退職届のフォームをもらい、淡々と提出した。

退職日は9月末だが、社宅からの引っ越し等もあり、9月中ごろから有給消化に入る旨を伝えた。

人事の課長だけは個別に呼び出しされ、退職を思いとどまるように言われたが、チャレンジしたいことを伝えて最後にはわかってもらった。

行き先の会社名は伝えた。別に隠すことではないし、自分としては誇らしかったからだ。

そこから急いで新しい住まいや子供の幼稚園などを探すことになる。社宅住まいだった反動だ。

新しい住まいは、妻のお姉さんの近くにすることに決めて、そこから翌週には賃貸物件を見て回っていたように思う。

幸い新しい会社にも乗り換え1回で行ける駅だったのでその点はとても良かった。

一方、会社の引継ぎはルーティーンを持っていたわけでもなかったのでそれほど引き継ぐ内容もなく、淡々と終わったと記憶している。

辞めるといった僕にも送別会を開催してくださり、ここまで育ててくださったことへの裏切りであるにも関わらず、最後は明るく送り出してくださったことに非常に感謝している。

 

そして10月1日に念願かなって入社を迎えた。

新しい会社では同じタイミングの中途採用が僕を含めて40人ほどいた。

いろいろな部署、いろいろな年齢。でも、みんな自信をもった表情だった。

中途採用の場合、それから研修ということもなく、午後には配属される部署にいた。

初めて入るオフィス。

一次面接でお世話になった方々がそのまま上司だった。

初日から飛び交う英語のメール、電話に多少とまどいながらも、今日からここで頑張ろうと思ったことが懐かしい。

 

 

 

 

2008年は忘れられない年。転職した年であるし、リーマンショックが起こった年。もう10年以上前になってしまった。

中途採用市場が盛り上がる中、僕は大手自動車メーカーと大手電機メーカーの選考が進んでいた。

いずれもそれぞれの会社ホームページ経由での応募。

 

大手自動車メーカーは書類を通過し、一次面接では1対1の面談があった。自分のやってきたこと、これからやりたいことなど、普通のやりとりであったように思うが、アジア圏を相手に仕事をしていたことが刺さっているように感じていたら最終面接に来てくださいとのことであった。

最終面接は4、5名の人に囲まれたように思う。当たり障りのない面接を行っていたのであるが、残業時間の話になった時に、なぜか僕は自分から中国に赴任していた時に病気になってしまったことを伝えてしまった。当時はまだ薬を飲んでいたこともあり、正直に伝えたほうが良いだろうと思ってしまったこともあるが、それは後の祭り。1週間ほどででると言われた結果は2週間ほどかかったように記憶しているが、不合格であった。しかし、ここでの経験が次につながることなる。

 

大手電機メーカーには8度目にして初めて書類を通過した。これまで経理職で応募していたものを財務職に変更しての応募だった。初めて書類が通過しただけで嬉しかったことをよく覚えている。一次面接は採用する部門の方がメインで人事の人は横で聞いているだけという感じであった。一次面接では開口一番に、8度応募してきたことを聞かれた。僕はいかにこの会社に興味があったかをここぞとばかりに答えたように思う。後はこれまでの実務経験などを話したわけだが、終盤にどのような軸で転職活動を行っているのか、他にどのようなところを受けているのかという質問があった。僕は前にも書いたが、人々の生活を豊かにするような会社でビジネスの推進を管理部門の立場でサポートしていきたいと伝えた。すると、面接官の方からは、そうすると自動車メーカーも受けているんですか?との質問があったので、最終面接に進んでいることを伝えた。これで相手の顔色が少し変わったように感じた。病気の話は自分からはしなかった。聞かれたら答えるスタンスにしようと思っていたからだ。うまくいったと思ったとおり、次の連絡は最終面接の連絡だった。

最終面接は偉い人との面接を想定していたところ、人事の課長さんとの面談のみだった。当たり障りのない面談が行われ、希望条件等の話がなされ、書類のSPIで見られる弱い部分は働きながら改善できるはずなどと採用面談というよりも、確認の場という印象を受けた。結果は早めに出しますと言われて次の日、「内定」を得た。

後で知ることになるのだが、実質的に一次面接で合格が決まっていたようだ。

こうして僕は大手企業への転職を果たした。