先日里帰りした時に、もう見つかることはないと思っていた写真が見つかりました。
何かというと、今から40年前ロサンゼルスにホームスティに行った時の写真です。
大学生10人ぐらいのグループだったのですが、その時の集合写真が見つかったのです。
俺はあの時1年生が終わった後の春休みでした。
あの時の俺は何かしなくては!と焦っていました。
俺は不登校で、大検を受けて大学に入ったのですが、他の人とは大きく違ったルートできて、まだ友達を作れるような状況でもありませんでした。
あの当時の不登校はものすごいレアもの。大検(高卒認定試験)なんて、存在すら知られていませんでした。
今思えば、どっちみち友達なんてできなくていいと割り切って、勉強だけに推進していた方が良かったのかもしれないと思うんです。
だけど、あの当時は焦っていた。早くに人並みにならないと、、、。
80年代は、まだバブルが弾ける前の時代ですから、定められたルートに乗らなかったら、取り残されるそういう時代だったんです。
しかし、やはり3年も高校に行かなかったというブランクは大きく、焦っても焦ってもうまく行かない。
そして、1年生の秋ぐらいから、クラスの女の子達の陰口が始まりました。
1人だけ浮いていたから、悪口の的になっていました。
でも、どうにか自分を奮い立て、お年玉がたくさん貯まったので、親に残りのお金は出してもらって、ロサンゼルスに1ヶ月のホームスティに行ったのです。
最初はアメリカ人から馬鹿にされるのではないかという心配があったのですが、俺を待っていたのはアメリカ人からの嫌がらせではなく、同行の日本人学生からのいじめでした。
あの時は男が俺を入れて4人、あと6人は女の子でした。
男は俺以外は3年生で東京の学生、年も上です。
女の子たちはみんな関西の大学の子達でした。
俺が男で一番年下だということもあり、周りからすればいじめの的にしやすいわけです。
とりわけ、腹が立ったのは、ある国立大学の女の子でした。
彼女は自分がものすごくいい大学に行っていると思っているため、1ヶ月間毎日のように学歴自慢。
しかも、俺が行っている大学を腐すことで、自分の方が優越しているということを示そうとするのです。
ちなみに彼女の大学は京都大学とかではありません。
関西ではそれなりに有名なところですが、他の地方での知名度は低いところです。
俺だって、聞いたこともないような大学でした。
あの当時は学歴自慢するやつは多かったんですよね。
学歴は日本では一つの身分制。
どれだけ貧しい家庭の子でも、家柄のいい金持ちの子であっても、同じ大学を出れば、同じカーストなんですよね。
本当につらくて、嫌な1ヶ月でした。
でも、アメリカの人で嫌だと思う人はいなかった。
俺はその後、大学院に行って24歳のときに1年間留学したのですが、そこでもアメリカ人で嫌な奴はいなかった。
もちろん、外人だから多めに見てくれているというのがあるのでしょうが、これは神様の思し召しなんじゃないかと思うんです。
俺はアメリカ人からは嫌なことをされていないので、一生アメリカを研究することが仕事になりました。
また日本の大学で勉強を続けることになったのは、その時に大学のことでものすごく嫌なことを言われたからなんですよね。
コンプレックスを克服したくて。
今振り返れば良かったのかもしれません。
あの時一緒のグループだった子達は本当に嫌な子が多かったけど、もうみんな還暦になっているはずです。
あの学歴自慢の女の子、今頃どうしているのやら。
もう会うこともない人たちです。
この写真もシュレッダーにかけようと思います。