人間関係は誤解誤解 | 京都還暦男のシングル暮らし

京都還暦男のシングル暮らし

京都在住歴40年以上。2024年の2月で還暦です。これから終活。日々の出来事を綴りたいと思います。

教育実習に行った時です。

 

当時、京都の大学の学生は、自分の地元に帰って母校で実習を受けるのが慣わしとなっていました。

俺は高校に行っていないので、高校で受けることはできず、自分の中学に行きました。

その時、中学1年生の頃に担任だった先生がまだその学校にいらしたんです。

 

俺がその先生のところにまず挨拶に行くと、すごく嬉しそうでした。

それで、あれこれ大学のことを聞かれるんです。

 

「何かご存知なんですか?」と訊くと、その先生は照れくさそうに「俺はあの大学の卒業だもの」と言われたのです。

 

その先生はうちの父よりも少し年上の人でした。

社会の先生だったのですが、水球の選手だった人で、水泳大会なんかでは見本を見せたりとかしていました。

いかにもスポーツマンらしい体型でした。

 

客観的に見れば、普通よりもいい先生だったと思います。

ちゃんと物事を考えているという雰囲気の人でしたし、教え方も上手い人でした。

人間味もある人でした。

 

そして何よりも偉かったのは、当時クラス委員で男子を自動的に正、女子を自動的にサブにしない唯一の先生だったんです。

あの頃は男がリードするのが男女の自然な摂理だと思っている人が多くて、他のクラスの先生たちは、女の先生も含めて、すべて自動的に男を正、女を副にしていました。

 

だけど、その先生だけは、「2人で相談して、どっちを正(リーダー)にするか決めろ」と言っていました。

この辺りはやはり京都で教育を受けているから、進んでいたのでしょうか。

京都は昔から共産党が強いですし、そういうことも考慮していたのかもしれません。

 

ただ、俺はその先生に1度、大きな誤解をされたことがあるんです。

あの当時、俺のクラスにバレーボール部の子がいたのですが、その子がバレーボール部を途中で抜けてしまった他の男の子をいじめていたんです。

 

俺はそのいじめていた子と友達というほど親しくもなかったけど、他に友達がいなかったので、それなりに親しくしていました。そのいじめられていた子ともそれなりに親しかったですが、この子も、多少問題ありの子で、俺は背中に蟻を入れてこられたことがあるんです。

 

だから、俺の方も彼がいじめられてもあまり同情はしていませんでしたし、それほど酷いいじめが起きていることも知らなかった。

 

ある日、俺が授業前にちょっとよそ見していると、その先生から、ものすごい威圧的なお叱りの声が飛んで来たのです。それだけではありません。なんか俺に対する態度が微妙に冷たく厳しくなっていったことを俺は感じとりました。

 

どうやら、そのいじめていた子が、そのことについて先生に問い詰められて、俺をいじめの首謀者に仕立て上げたみたいなんです。

その子はお父さんからDVを受けていて、自分のお父さんのことをあからさまに「血も涙もないやつ」と言っていました。暗いところのある子だったのです。

 

俺はクラスでも一番大人しいタイプの子で、いじめたりなんてできる子じゃなかったんだけど、その先生はそこまでは見抜いていなかった。

 

それに、仮に俺がその子のことをいじめていたにしても、だからと言って、先生が俺に冷たくしていいということにはなりません。

俺の中ではそれがトラウマになっていましたし、その先生のことが嫌いでした。

 

だけど、教育実習の時に再開したその先生は、すっかりそのことは忘れていて、自分と同じ大学に教え子が行ったことを喜んでいるみたいでした。

 

俺は自分の大学も好きじゃなくて、そのことで4年間悩み続けて、結局、他の大学の大学院に行くことになるんだけど、、、(笑)。

 

人間って滑稽ですよね。

その先生は、割と早くに亡くなったんだけど、俺がそういう思いを抱いていたことなんて、露知らずにいたんです。

 

人間なんて、お互いを全て理解するなんてできません。

むしろ人間関係は誤解誤解の連続です。