華やかな80年代スタートを飾った方 | クリス松村オフィシャルブログ Powered by Ameba

 

もんたよしのりさんの訃報、驚きました。





もんたさんが、私の担当する番組にお越しいただいた時にはいろいろな話をしてくださいました。(以降、記録の記述を除いてすべてご本人のお話)





『夜のヒットスタジオ』に出演されたことで大ヒットに拍車がかかったというお話で、





ヒットスタジオに出演された翌日、パンを買いに外に出たところ、自由が丘のロータリーが人で埋まるほどの反響だった・・・という話をしてくださいました。





「ダンシング・オールナイト」ベストテン入り前の話です。






記録時系列にしますと、





オリコン86位初登場が5/5で、ヒットスタジオに初出演したのが5/26





ヒットスタジオでは、白のパンツ、黄色いTシャツ、ブルーのジャケット。オープニングメドレーでもんたさんに歌をつないだのはピンク・レディーさん。

 

 

 

 

 

初めて見るスタイルの歌手!と衝撃を受けました。





オリコンベストテン入りが6週目で1位が(6/9)、





ザ・ベストテン初登場8位(6/12)1位(6/26)2度ロックンロール・ウィドウに1位の座を奪われるも7週1位)





ザ・ベストテン初登場時は、白のパンツに白のTシャツにマスタードカラーの襟立ちジャケット。





ひと晩で運命が変わったと、もんたさんが語っておられましたが、





来る日も来る日も「ダンシング・オールナイト」・・・ということで、自分の音楽とは何なのか!?と苦しまれたそうです。





また「ダンシング・オールナイト」がオリコンで10週連続1位で動かなかったため、





谷村新司さんの『昴』が1位を獲得出来なかったことを伝えると





「あんな名曲が1位を取れなかったの?」と驚かれていました。





『ザ・ベストテン』のサイン帳では、谷村新司さん、もんた&ブラザーズさんの2組が同じページにサインをされています。






1位・ダンシング・オールナイト/もんた&ブラザーズ

2位・昴/谷村新司





オリコンシングル、1980年6月23日付から2週間この順位。(3位は「ロックンロール・ウィドウ/山口百恵」「RIDE ON TIME/山下達郎」)






1980年は、音楽が激アツな年で、演歌もテクノもアイドルも大ヒットで面白い年でした。





80年代中盤からの危機的な歌謡界の状況のカケラもあらません。





「ギャランドゥ」は自分で歌うつもりで作ったけれど、西城秀樹さんの事務所独立第1弾シングルとして…という依頼が来て、





秀樹さんに提供した…と話されました。





Wikipediaの情報とは違いますが、このことをもんたさんご自身が私に語っておられる映像がございますので、





私は、こちらを自分のブログではお伝えいたします。





ちなみに秀樹さんが当時、この話をインタビューでされていますが、こちらもWikipediaとはまったく違う内容です。





音楽番組などで、いろいろな歌手の方との距離感を感じていたけれど、秀樹さんだけは人間的にいい関係が築けたと、その後のこともお話してくださいました。







秀樹さんとの初対面は、1980年5月26日の『夜のヒットスタジオ』ということになると思います。

 

 

 

 

 

私の担当番組では、放送されなかったと思いますが、もんたさんは1980年の『平凡』の新人人気投票で、田原俊彦さん、近藤真彦さんに続く3位に輝き、(表紙にも登場!)





4位の野村義男さんの間に入るほどアイドル的な人気があった話をすると、





その時いちばんの笑顔で照れておられた顔が印象的でした。





また、もんた&ブラザーズ以前の話もしましたが、ほぼ忘却の彼方という反応をされました。





それは、若いその時にその曲、歌唱には何か足りないものがあったという、もんたさんのミュージシャンとしての姿勢の表れだったと思います。





もんた&ブラザーズとしての初期のお話の一部でした。





書いたことは、記憶ではなく!全て映像、写真、公式記録などで確認しています。






また、ラジオでお話したいと思います。





謹んで哀悼の意を表します。






※これらの話をしてくださった時のもんたさんとのツーショット