郊外学習の集合時間に生徒が遅れた・・・
先生が遅刻はいけないと遅れた生徒だけ、20分その場で正座させて話を聞かせた・・・
東京都教育委員会は、「一般的な人が多数いるなかで、生徒に身体的、精神的な苦痛を与えた」と。
今、外国人観光客も多い中で、確かに場所として観光客の迷惑になるのであれば、いかがなものか・・・とは少し思いますが、
大衆の前で恥をさらして精神的苦痛・・・という考えは、どうでしょう。
会社のパワー・ハラスメントと同じ扱い?
20分程度、いけないことだと話を聞かせるのに、正座や立たせるとかが身体的苦痛の体罰?
私も学生時代に1回だけ、トラウマのように今でも心に残る廊下に立たされた事件がありました。
これは、冤罪でした。
だから忘れられない、許せないことです。
イジメっ子の嘘を教師は信じ、当時、何も言えなかった気の弱かった私が悪いことになった・・・。
私は、その悔しさが忘れられずに今日まで生きてきました。
そのぐらいトラウマです。
ただ、自分が悪いことをした時に立たされたり、正座を1時間なんて・・・いい思い出ですし、あの指導があって良かったと思っています。
確かに生徒には心が弱い生徒もいます。
しかし、私のように成長の過程の大切な指導になる場合もあります。
弱い者の立場に立つことは、人間として、とてもとても大切ですが、
悪いことを指導する場合に心の弱い者を中心に指導を考えたら、
教師はどう悪いことを教育をすればよいのかな・・・と考えます。
口頭注意で十分?
そういう考えが教育委員会にある一方、岩手県の中学2年生の事件のように、
イジメにあっている子どもには冷たい面もあります。
過去も含めた記者会見での態度。
把握していない、イジメがあったかどうか・・・あった可能性というようなお決まりの発言。
冷たい!教育者じゃない!
矛盾していませんか?
悪いことをして指導される生徒には過保護、
イジメに苦しんでいる子どもは、亡くなっても無視。
私がされてきたことです。
だからいつもいつも熱くなってしまいます。
こんな過保護ニュースが流れて、悪いことをした生徒の中には、舌を出して喜んでいる子もいるかもしれません。
この子どもたちが社会人になり、結婚して・・・
モンスター・ペアレントになるかもしれない・・・
私は、そういう想像もします。
教育は、教師だけの責任ではないとずっと申し上げていますが、
間違っている面もあるかもしれない教師評論家の意見だけを聞くことは、そろそろ見直さないと、
このいろいろ進化しているご時世、教育現場は崩壊するかもしれません。
今朝のニュースを見て、そう感じました。