まだ・・・懲りませんか・・・。
新国立競技場の建築をめぐっての言い争い・・・。
言った言わない、やる気があるのかないのかとか・・・
恥ずかしい上から目線の物言いの応酬。
この言い争いが、国を代表する方々の今の姿だとは、情けない。
取り壊された国立競技場は、出陣学徒壮行会の会場ともなった明治神宮外苑競技場を
東京オリンピックの開催を目指して建てられたものでした。
国民の気持ち、未来にかける思いを込めて建てられた競技場。
まだ、哀しみがあった場所だったことを誰もが忘れてはいなかったことでしょう。
学徒出陣していった学生たちは、疑問を持ちながらも
この国を守らなければならないという気持ちにさせられ、
「生きて帰るつもりはない」とまで、宣誓させられ野蛮な戦争が行われている戦地に向かっていきました。
それは、当時の東條英機首相の国民の気持ちをひとつにするという思惑もあっての壮行会だったわけです。
納得できなくても、団結しなければならない…
そういう責任感をもって戦地に向かい、2度とこの場所に戻って来れなかった若者たちの最後の魂が常にここにある
そういう気持ちを忘れては、あまりにも哀しすぎますし、無責任すぎると思います。
生きさせてもらっている・・・という大流行りの言葉の意味は本当は理解されていないかもしれません。
国民の目の前で、またインターネット時代の世界に向けての
国を代表する立場の皆様の対応と態度があまりに無責任ではないかと感じます。
今、生きている我々だけにではなく、日本を守ろうとして亡くなられた方々に対してです。
彼らは、夢を追うことを許されず生涯を閉じたのです。
今の状況を見る限り、議員の方々の靖国参拝さえも、形だけのアピールに私には思えてしまいます。
それは、我々も同じ。
日本の将来を思って、戦地に散っていった尊い命があっての現在だということを忘れてはいけないと思います。
そして、今の子供たちに対しても見せてはいけない、このイザコザが、これ以上続くとなれば、
2020年を前にして、国民の気持ちは、決してひとつにはなれません。
しかもどんな状況でも、ひとつになってきた場所において。
ひっそりと、どこかの番組にコメントを寄せていらした前知事も招致に関わった方々も
もう少し、姿勢をハッキリとなさるべきだと思います。
今のこの酷い状況をあの学徒出陣で集まった方々に見せられますか?
お金を出す出さない、新しい法律を決めればよい、納期に間に合わない・・・
ラグビーに間に合わせる・・・。
勝手な言い分ばかり・・・。
あの輝かしいプレゼンテーションは、何だったのか・・・。
何のために国立競技場が取り壊され、
何のために2020年の東京オリンピックが開催されるのか、
今一度、決定権のある皆様には謙虚に考えていただきたいと思います。
今、全てにおいて謙虚さが欠けてしまっている気がいたしますが・・・
それでも、国民が選んだ代表ですから、ぜひしっかりとお願いをしたいと思います。
尚、某バラエティー番組で、このことに関しコメントさせていただきましたが(まだ未放送)、
あれは・・・5月の時点でバラエティー向けにコメントしたことです。
ブログでは、バラエティーによせる必要は全くございませんので、しっかりとこれからも、個人的な考えを書かせていただきます。
たかがの生き物ですが。