では気を取り直して和歌山城を攻めましょう~
往時は現在残っている城域の4倍あったそうです。
さすが徳川御三家の城ですね!
和歌山城が最初に築かれた時は南の“岡口門”が大手で、
この位置(天守の北東)になったのは関ヶ原の戦い後に入封した浅野幸政の時代です。
当初は戦国時代でドンパチやってる時代だから、攻められないよう南側にしたんじゃない?
で、関ヶ原後は参勤交代とかから帰ってくるときに、回り込むの面倒だったとか!
でも北東って鬼門なので「鬼さん、うぇるかむ!」状態ですぞ?
{いいの?
“不明門”というのは鬼門におかれるものだと思ってたのですが、真南にありますね。
こちらが初代の大手門だった“岡口門”
戦国期の大手門だけあって、重厚ですね。
年代を感じさせるすす汚れ(?)が最高いい雰囲気を出してます。
やっぱ現存はいいですね
もうひとつの現存城門があります。
現存なんだけど、なぜか真新しい印象を受けました{あれ?
赤い塗料を塗ったのが昭和だからでしょうか?
(昭和の解体修理で往時は赤かったことが判明したとのこと)
まだまだお花見シーズン(登城日2012/4/15(日))なので、
出店が出たり、お花見客で賑わっておりました
八重桜(だと思う)はとてもキレイでしたけどね。