図書館で借りている“小田原北条記”に箕輪城が出てきてウハウハしている単純kaiです。
(といっても箕輪城主の長野信濃守っていう人が出てきただけですがね・・・)
現地案内図(クリックで拡大します)
二の丸と本丸の空堀
右(本丸側)のほうが高いのは、掘った土を積み上げたからですよね?
土塁にするのって上から圧迫かけて固めるんだろうケド、その作業もまた大変そう・・・。
どんな道具を使うんだろう?
子供に遊んでもらうとか(笑)
(↑加藤清正の築城逸話)
この堀、歩くことができるのですが、
「誰か通らないかな~(比較対象になってもらおう)」と思ってたのですが、
誰も歩いてきませんでした{あぅ・・・
防御施設というより山城でいう堀切でしょうか?
御前曲輪北堀(5つの堀の合流地点)
たぶんこの5つ
まるで川のようです
大空堀とのことですが、
本丸と二の丸の空堀のほうが広く、深く感じたんだけどなぁ?
幅は歩測で簡単に測れるけど、高さは測れないよね~
“東日本は土のお城文化”という印象があるのですが、
使うところには石垣をつかっていたんですね。
(三の丸などに石垣があります。
こと細かくレポするつもりでしたが、いつまでたっても終わらないと感じたので割愛します)
補強・修復するにしても、土嚢はやめてほしかったな・・・。
佐倉城で馬出見損ねたけど、こんなワイルドな馬出を見られて満足!
「年月が経っている」カンジが伝わってくるので
整備はこれくらい荒っぽいくらいまでがいいなと(私は)思います。
ところで“郭馬出”の読み方は“カクウマダシ”でいいのかな?
“角馬出”じゃなくて“郭馬出”なの?
感想が全然ないですが、これでもめちゃめちゃ興奮してたんですよ。
表現力というか、適切な感想をいえる脳が欲しいよ・・・。
そもそもショボい撮り方しかできてないから、この堀のすごさが全然伝わってこないんですよね