【散歩】たみ散歩「京都・近鉄丹波橋」Vol.39 歴史的な建造物が多く見られる伏見を散策!⑦ | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【散歩】たみ散歩「京都・近鉄丹波橋」Vol.39 歴史的な建造物が多く見られる伏見を散策!⑦

promari.png

※プロマリを更新しました。プログラミングやニュース記事を纏めていますので、是非ご覧になって頂けましたら幸いです。

 

引き続き、歴史的な建造物が多く見られる京都伏見区の「近鉄丹波橋」を散策します(前回の記事はこちら)。


歩いていたら「伏見城」石垣の説明文がありました。



この石垣は、昭和五十二年(1977)に学校から北に約300m離れた桃山町紅雪にて、工事中に偶然発見されました。ここにある石垣は、見つかった長さ100m分のうち、特に残りがよい十五メートルを移築したものです。



石垣は、天下統一を果たした豊臣秀吉が、文禄五年(1596)に築いた伏見城のものと考えられます。伏見丈は(1623)に徳川幕府の命令によって廃城となり解体されますが、発見された石垣は土の中にある土台の部分であったため、残されたと考えられます。

伏見城の石垣で、現在残っているのはほとんどなく、当時の一流の土木技術を知る上でこの石は大変貴重なものとして京都市の史跡にも登録されました。

この辺りは「桃山町伊庭」あたりを歩いています。



「桃山東小学校」がありました。



さすがお隣が伏見城ですので伏見城探検プログラムが目白押しです。京都宇治線がある「桃山南口駅」まで歩いてきましたが、今回はそこはターゲットじゃないため、線路を渡らず伏見城の外堀を歩いていきます。



この辺り昔の街並みが残っています。



「伏見城御舟入址」



文禄年間(1592~95)伏見城を築くのと並行して宇治川の河道を現在のように伏見城下へ迂回させたが、慶長の大地震後新しく天守閣を木幡山に造るに当たって、宇治川と山科川との合流点に御舟入(河港)を設けました。御舟入は、この付近が、伏見城再建の際に、木材や石材などの建築資材を運び入れるための河港だったことを表しています。

又、慶長8年7月、徳川家康の孫娘千姫が大坂城に在る豊臣秀頼のもとへ輿入れのとき、この御舟入から乗船した有様が諸書に記されています。

ここからJRの高架下を渡り、「桃山駅」方面へ歩いていきます。



なにやら大きなストリートに出てきました。



今後は「明治天皇 伏見桃山陵」を参拝するために再度、伏見城がある園内へと入っていきます。


とにかく緑が豊かです。



この右側が「明治天皇 伏見桃山陵」あります。



1. みだりに域内に立ち合いらぬこと
2. 魚鳥等を取らぬこと
3. 竹木等を取らぬこと

との宮内庁からのお達しがあります。



世の中に園内に入ると、かなりの確率で遭難しそうではあります。

皆様準備はいいですか。見てください。この立ち構える何十段もある階段。



そう「明治天皇 伏見桃山陵」を参拝するためにはこの階段を上らないといけないです。



今日はここでお終いです。お次は「【散歩】たみ散歩「京都・近鉄丹波橋」Vol.39 歴史的な建造物が多く見られる伏見を散策!⑧」をお届けするのでお楽しみに!

 

written by たみと@いつでもどこでも働ける、リモートワーカーという生き方