【散歩】たみ散歩「京都・近鉄丹波橋」Vol.39 歴史的な建造物が多く見られる伏見を散策!⑤ | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【散歩】たみ散歩「京都・近鉄丹波橋」Vol.39 歴史的な建造物が多く見られる伏見を散策!⑤

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※プロマリを更新しました。プログラミングやニュース記事を纏めていますので、是非ご覧になって頂けましたら幸いです。

 

引き続き、歴史的な建造物が多く見られる京都伏見区の「近鉄丹波橋」を散策します(前回の記事はこちら)。


読者の皆さまにもこれから伏見桃山城をお見せします。



準備はいいですか。3・2・1、はい!!



これが伏見桃山城運動公園のシンボル「伏見桃山城」でございます。紛らわしいんですけど、この天守閣は豊臣秀吉・徳川家康の「伏見城」とは全くの別のものです。



運動公園のお城は、昭和39年に開園した遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」の目玉施設として建築された模造天守。その後、キャッスルランドは、平成15年1月に閉園となり、その際、お城も取り壊される予定でしたが、存続を求める市民の皆様の要望により、伏見のシンボルとして運動公園に引き継がれ、現在では映画やドラマの撮影等にも活用されています。



もっと間近に行ってみてみましょうかな。



見事な天守閣じゃありませんか。もう摸擬天守でもなんでもござれと言っていいでしょう。



ただ、老朽化が進んでいるため中に入れなくなったのは残念です。



「引野收樹霊碑」に「昭和の子規」と呼ばれた引野收(ひきのおさむ)が詠んだ歌が紹介されていました。



「永遠とおもえる ながき時のなか 樫立てり黄なる 彩雲の果て」。引野收は、伏見桃山城の北西桃山町正宗坂で40年間にわたり絶対安静の寝たきり生活を送りながら歌人である妻の濱田陽子とともにいのちや平和の尊さを歌い続けたそうです。正岡子規も病床にありながら歌を詠み続けたので、引野收は「昭和の子規」と称えられたのです。



桃山の美しい夕景だけではなく、永遠に生き続ける樫の樹々に、生きることへの賛歌、平安の祈りがこめられています。なお、この公園の北側、上板橋通りを東へ歩むと八科峠に濱田陽子の歌碑「峠路は やすらぎに似て 風吹けり 石も木草も なべてかがやく」の歌碑があります。 



伏見桃山城を裏から眺めます。



「桃山の 聳える城を 見て思ふ 時流れれば 真なれぞ」 by たみと




「京都一周トレイル東山コース」。



京都一周トレイルはこの東山コース以外にも北山東部・西部、西山、そして京北のエリアがございます。京都観光は伏見稲荷大社や金閣寺、嵐山とったスポットだけでなく、トレイルを歩くとまた違った京都の顔が見れるかもしれません。



「伏見桃山城運動公園野球場」が見えてきました。



この日は野球の試合はやってないようです。運動公園なので、多目的グラウンドもあります。



高校のとき、運動音痴な小生が組んだチームは「ベンチャーズ」という名前だったかな・・・。



今日はここでお終いです。さらに伏見桃山城運動公園をぶらり散歩してみます。お次は「【散歩】たみ散歩「京都・近鉄丹波橋」Vol.39 歴史的な建造物が多く見られる伏見を散策!⑥」をお届けしますので、お楽しみに!

 

written by たみと@いつでもどこでも働ける、リモートワーカーという生き方