【散歩】たみ散歩「京都・近鉄丹波橋」Vol.39 歴史的な建造物が多く見られる伏見を散策!③
※プロマリを更新しました。プログラミングやニュース記事を纏めていますので、是非ご覧になって頂けましたら幸いです。
引き続き、歴史的な建造物が多く見られる京都伏見区の「近鉄丹波橋」を散策します(前回の記事はこちら)。
この辺りは両替町。
その町の命名通り、昔、この辺りに両替所があったことが伺えます。
こんなところにカフェが。ランチとケーキのお店「キャンバス (canvas) 」
ヘルシーな「五穀ごはん」がおススメのようですね。早朝だったので、閉まっていました。
再び、京阪と近鉄線を越えて今後は桃山町の方向へ歩いていきます。
京阪ファンと近鉄ファンはどちらが多いんだろう。
生まれが名古屋の小生は、名古屋と母方の実家の三重との間を走る近鉄特急に乗るのが大好きでした。なもんで、京阪ファンには申し訳ありませんが、近鉄に一票を投じさせて頂きます。
「桃山井伊掃部(ももやまいいかもん)」
この周辺には、城と大名屋敷にちなむ地名が多くみられます。筒井伊賀、長岡越中、水野左近、福島太夫、毛利長門、羽柴長吉、松平筑前など。へぇ、小生の名前がもしつくのであれば、民人(たみと)というところでしょうか。いや太美都(たみと)かな・・・。そんなことどうでもええがなって怒られそうです。
「伏見区桃山長岡越中南町」の交差点まで歩いてきました。
京都府京都市から奈良県奈良市を経て、和歌山県和歌山市に至る国道24号を超えます。この道をずっと走ると和歌山までいくわけです。関西圏では国道171号や国道176号(三田市以南)とともに渋滞酷道と呼ばれるほど渋滞が慢性的なんだそう。
小生は全国の酷い道路の酷道マニアであるものの、渋滞は勘弁ですな。
奈良線の踏切を渡ります。
この後、伏見桃山城を見物したあと、桃山駅辺りまで足を運んでみたいと思います。
ここから「京都市立呉竹総合支援学校」の裏の桃山町島津。
ここから「桓武天皇 柏原陵」へ向かって歩いていきます。
なにやら神々しい参道へ出て参りました。
そうここは宮内庁が平安遷都で有名な桓武天皇の墓所としている柏原陵(かしわばらのみささぎ)がある場所です。
実際の墓所の正式な場所は所在不明なんですが、ここは考証の結果、明治時代に治定されたもの。仁徳陵より広大だったと記録に残りっていますが、鎌倉時代から室町時代の動乱期に所在不明になったんだそう。
きっと広すぎて訳が分からなくなったんでしょう。さらに秀吉がこの場所に伏見城を築城してから、さらに訳が分からなくなったんでしょうな。
桓武天皇は、平城京から長岡京、さらには平安京に都を移した日本の第50代天皇でございます。平城京では、仏教各寺が政治に深く入り込んだり、豪族が不正を行ったりしたため、784年に長岡京に都を移しました。
さらに長岡京では天災や近親者の不幸・祟りが起こり、その原因を天皇の徳がなく天子の資格がないことにあると民衆に判断されるのを恐れて、わずか10年後の延暦13年(794年)に泣くようぐいす平安京で知られる平安京遷都を行ったのです。こうして首都の奈良から京都に都が移ったわけでございます。
今日はここでお終いです。次回は柏原陵をご紹介します!お次は「【散歩】たみ散歩「京都・近鉄丹波橋」Vol.39 歴史的な建造物が多く見られる伏見を散策!④」をお届けしますので、お楽しみに!
written by たみと@いつでもどこでも働ける、リモートワーカーという生き方