【散歩】たみ散歩「東京・狛江市」 Vol.38 多摩丘陵の多摩川沿岸に位置する街を散策する!③ | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【散歩】たみ散歩「東京・狛江市」 Vol.38 多摩丘陵の多摩川沿岸に位置する街を散策する!③

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※プロマリを更新しました。プログラミングやニュース記事を纏めていますので、是非ご覧になって頂けましたら幸いです。

 

引き続き多摩川の左岸、武蔵野台地の南の縁に位置する「狛江駅」を散策します。早速母屋に入ってみましょう。(前回の記事はこちら)。



わぉ!コングラチュレーション!!



民家の母屋の中には貴重な文化財が保存されています。



これは「唐箕(とうみ)」です。



唐箕は、稲、麦、豆類、菜種などの穀物(穀粒)を風力を起こして選別(精選)するための農具。昔はこうやって麦やら稲やらを選別してたんですね。高機能のコンバインが主流になっていますので、唐箕を使う機会は滅多にないんじゃないでしょうか。

うちも祖母がよく田舎に帰るとコンバイン機にお米を運んでと言われて軽トラで米袋を運んでおります。

これはなんでしょう。「万石通し(まんごくどおし)」。



米(玄米)ともみ殻を分けたり、くず米を取り除いたりするための道具。斜めに張った網の上に米を落とすと、細かいもみ殻やくず米は網の下に落ちる仕組みになっています。江戸時代の中ごろに江戸で発明され、農作業の効率を飛躍的に向上させたといわれます。

「種まき器」やら「田打車(たうちぐるま)」も展示してありあす。



種まき器はその名の通りわかると思いますが、田打車は中耕効果に重きをおいた転車をもった器具です。中耕は、物を栽培中に、固くなった土を浅く耕す作業のことです。

でも農具一つ一つを発明した人ってすごいと思いません?いまでしたらノーベル賞ものですよ。

これは郵便局かな?



昔のポストが置いてありました。



今このポストを見かけることも少なくなりましたよねぇ。今の現代式よりも、このデザインのほうがイケテルと思うんですがどうでしょう。

「お釜(羽釜)」がございました。



本体の中央に鍔(つば)がつけられている釜を羽釜(はがま)といいます。この鍔の部分にクド(煮炊きをする石組などの火どこ、かまど)の上部をかけて下部を浮かせた状態で使います。底は丸くなっているので、均等に温まります。昔はお米を炊飯器でなくこのお釜(羽釜)で炊いていたんですよね。

厚い木の蓋は米をよく蒸らすことができ、底が深く、鍔(つば)のある羽釜はかまどにかける時に熱を逃がさず効率的に米を炊くことができるんです。

母屋の縁側で庭を見渡すとここが都会であることを忘れさせてくれます。



一句詠んでみましょう。

「枯園に 冬鳥あつまり にぎははし」 by たみと

もうちょっと母屋を散策します。



「土間抜けて 母屋匂ひと 花あかり」 by たみと



土間です。土間土間じゃありませんよ!



お座敷です。



昔の母屋にしては結構な広さではないでしょうか。



お庭も散策しています。



農園もありました。なにを栽培しているんだろう。分かる読者様います?



民家園の庭に「被爆榎2世」があります。



1945年(昭和20年)8月9日、長崎市に原爆が投下され、爆心地から1.6kmの浦上地区で樹齢300余年、高さ20mの椋木と榎が被爆。強烈な熱風で幹は折れて黒く焦げましたが、その後、椋の木も榎も折れた部分から新しい枝を伸ばし再生したんです。

65年経った2010年(平成22年)、その根元に芽生えた「被爆榎2世」は、狛江に来て鉢で育てられ、2015年(平成27年)10月、ここ、むいから民家園に植樹されることになったんです。原爆体験を語り継ぐ木として、原爆、戦争、平和についてか語り合う契機となることを願うと説明書きにありました。

人間もどんなにどん底でも黒く焦げになっても新しい枝がきっと生えてくるものです。

今日はここでお終いです。今回はむいから民家園の紹介で終わりましたね。お次は「【散歩】たみ散歩「東京・狛江市」 Vol.38 多摩丘陵の多摩川沿岸に位置する街を散策する!④」をお届けするのでお楽しみに!

 

written by たみと@いつでもどこでも働ける、リモートワーカーという生き方