【散歩】たみ散歩「長野・伊那市駅」Vo.35 伊那市の中心駅として機能する街並みを散策!⑥ | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【散歩】たみ散歩「長野・伊那市駅」Vo.35 伊那市の中心駅として機能する街並みを散策!⑥

btpb5hmlur.png

 

引き続き、伊那市の中心駅として機能し、商店街も活気がある魅力盛りだくさんの街「伊那市駅」をご紹介いたします(前回の記事はこちら)。

「伊那部宿跡」がございました。



伊那部宿は伊那街道の中で飯田城下と塩尻の中間に位置し東は高遠城下、西は権兵衛峠を越え木曽へ通じる交通の要衝でした。天竜川右岸の第一段丘に位置し、南北330mの直線の町並みである。その初見は天正十九年(一五九一)太閤検地帳に十六軒の町並みが記されています。



この宿場の特徴は春日城・春日神社などが宿場と接続していることからその一画と見なすことができます。春日城の築城は発掘調査などから、室町前期から南北朝時代にさかのぼるといわれ、同宿はこの城及び神社と常に深くかかわってきたものと思われます。



また宿場の南端にある尾花ヶ崎は、南北朝時代宗良親王が遠征の途次この地に立ち寄られ、桜花に感嘆し次の歌を詠まれたと伝承されています。「散らぬまま 立ち帰るべき道ならば 都のつとに 花も折らまじ」。また戦国時代武家屋敷の伝承があり、更に天明四年(一七八四)伊那部宿に逗留した菅江真澄は「尾花ヶ崎は桜の名所であり県の御司が毎年訪れた所」の一語を残しています。なお宿場の背後の台地には伊勢並古墳群があり、一帯は古代遺跡の宝庫です。



江戸時代中期頃には宿場も整備され、本陣・問屋は勿論のこと街路の中央に角川が流れ、柳や樫などが植えられ、旅籠の他に酒屋・薬屋・荒物屋などがあり、中央に髪結いと銭湯がありました。明治時代に入り最初に郵便局が置かれたのもこの地です。また明治二十四年八月登山家ウェストンは木曽から西駒ケ岳を一日で踏破して伊那部宿に泊っています。

明治二十七年に開かれた三州街道が下段に開通したため、当宿場町は完全な形でのここりました。宿場機能を果たす多くの遺構が残る「伊那部宿」は江戸時代の形態を今に伝えるものとして県下でも貴重なものとなっています。(以上「伊那部宿の由来」説明文より抜粋)



ここから「春日公園」に行ってみます。



春日公園は春日城址公園とも呼ばれ、戦国時代の城址です。桜やツツジの見所スポットとして知られています。


入口には「春日神社」がございました。



春日神社の創建は室町時代の天文年間(1532~1553年)、春日神社春日城を築いた伊那部新左衛門が産土神としては春日城の一角に勧請したのが始まりと伝えられています。



天正10年(1582)の織田氏の信濃侵攻の際に、伊那部氏(春日氏)は当時の当主春日河内守昌吉が仁科盛信に応じて高遠城に立て籠もり討死した為に滅びますが、春日神社は西町村と荒井村の産土神として現在まで篤く信仰されています。

これを登らないといけないのかぁ。さあてもう一段ギアを入れます。



最近散歩に慣れてきたのか足腰が丈夫になってきましたよ。



境内入口に立つ二の両部鳥居を潜ると、拝殿がございます。



拝殿は大正9年(1920年)に改築されたもので、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間軒唐破風向拝付き。祭神は、天児屋根命です。



境内には天満宮がございます。



左手の森の中にはこの天満宮を初めとして多数の境内社が祀られています。



今日は伊那市のパワースポット春日神社の紹介で終わりましたね。お次は、「【散歩】たみ散歩「長野・伊那市駅」Vo.35 伊那市の中心駅として機能する街並みを散策!⑦」をお届けしますのでお楽しみに!

written by たみと@多拠点生活