【散歩】たみ散歩「福岡・飯塚市幸袋」Vol.32 旧伊藤伝右衛門邸をぶらり散策する!②
引き続き、旧伊藤伝右衛門邸がある福岡県飯塚市幸袋周辺をご紹介致します(前回の記事はこちら)。
一旦旧国道200号を「飯塚自動車学校」方面へと歩いていきます。
「ビリヤードやんちゃ飯塚本店」
昔高校のとき学校をさぼってゲーセンにビリヤードしに行ってる時期がありました。学校へ行ってもつまらなかったので、もう少しで出席日数が足りないほど、学校に行ってませんでした。一時期後ろから数えた方が早いほど、成績も落ちたんですが、2年生からは、人が変わったほど勉強してなんとか大学に合格出来ました。
ゲオ。
なんで勉強したのかって?救ってくれるのが勉強しかなかったからです。家庭環境も、学校の環境もよくなかったので、ここから抜け出すには勉強しかないとあの時は思って、必死でした。
「なごし手打うどん」
九工大生だった頃はこの辺の安い定食家さんに随分と助けられました。
「FACE 707」
筑豊はパチンコ屋さんがとても多い地域でもあります。僕ですか?競馬はやりましたが、不思議とパチンコはやらなかったですね。当時九工大の先輩や友人でもスロットを研究して、4~500万くらい荒稼ぎしている先輩方もいました。当時スロットは研究したら勝てたんですよねぇ。
「禅宗 曹洞宗 高林寺」。
京都の寺にアンドロイド観音「マインダー」が登場しましたよね。そのうちお坊さんもロボットになるんでしょうかねぇ。
高林寺の裏には「城ノ腰溜池」がございます。
そしてそのお隣には「許斐(このみ)神社」がございます。行ってみましょう。
飯塚市幸袋の丘の上に鎮座する許斐神社は幸袋地区の産土神です。
幸袋は、かつては穂波郡内の荘園に因む「合屋(おおや)」や「王谷」、近代には「大谷村」という地名だったそうです。遠賀川が蛇行して袋のような入江地形になっていたことから、「河袋」とも呼ばれ、江戸時代に「幸袋」に変化したともいわれます。
地名の由来は、洪水を避けるために好字(幸の字)をつけたとか、木実権現に奉納された黄金の財布(袋)に因むとか、1838(天保9)年に五か村用水が完成し米の収穫量があがって幸福をもたらしたとか諸説あるようです(西日本新聞ニュース許斐神社 豊かな地徳をたたえるより)
許斐(このみ)神社は天正元年(1573)の頃、秋月氏の家臣、許斐某がこの城にあった木実権現を崇敬し神社を建て直したので、いつしか許斐神社と言われるようになったと伝えられています。
祭神は天太玉命(あめの ふとだまのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこ と)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)。この幸袋という地域は、古来より、船舶、家屋などを作る木材や木の実などに役立つ杉、ヒノキなどの樹木が繁茂する丘陵で、その地徳をたたえる神社だと考えられているそうです。
須佐神社、稲荷神社、天満神社、蛭子神社が許斐神社の境内に併祀されいます。
旧長崎街道沿いに面していたため、道祖神の猿田彦神や庚申塔が多く合祀されております。
この許斐神社がある小高い丘からは遠賀川や川島、立岩丘陵、福智山方面を望めます。
さきほどの川土手が見えますね。天気も良くてよい散歩日和ですこと。国道に降りてみます。
いつも200号を通るとき見えていた橋の上に出ました。
ここに出るのか!国道200号の頭上。
ちなみに国道200号は、福岡県北九州市八幡西区から同県筑紫野市に至る一般国道でございます。昔は直方バイパス、飯塚バイパスが無い頃は、飯塚からこの道を抜け八幡方面に行く必要がありました。
今日はここで御終いです。お次は「【散歩】たみ散歩「福岡・飯塚市幸袋」Vol.32 旧伊藤伝右衛門邸をぶらり散策する!③」をお届けしますので、お楽しみに!
written by たみと@プロマリ