【岩手】岩手県奥州市の歴史テーマパーク!「えさし藤原の郷」で平安時代にタイムスリップ③ | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【岩手】岩手県奥州市の歴史テーマパーク!「えさし藤原の郷」で平安時代にタイムスリップ③

引き続き岩手県奥州市にある平安時代のテーマパーク「えさし藤原の郷」の記事を書きます(前回の記事はこちら)。

「経清館(つねきよやかた)」を散策した後は、「清衡館(きよひらのやかた)」へ向かいます。

「陸奥の馬」です。陸奥は古くから良馬の産地として知られていました。馬は黄金とともに陸奥で算出した珍品として朝廷に献上されていました。武士にとってお骨格の堅固な陸奥の馬は軍事に欠かせないもので、源頼義が陸奥に対して野心を抱いたのも戦のための馬を必要としたからだと考えられます。

 

 

私は大の馬好き(競馬はしばらくしていませんが、レースは毎週必ず見ています)なんで、サラブレッドのファームを見て回りたいんですよね。そのうち北海道でサラブレッドファーム巡りの旅に行ってくるかもしれません。

この先に清衡館があるようです。

 

 

南門から入ります。

 

 

後三年合戦で焼失した豊田館は、清衡により再び江刺に建てられました。その館を再現したのが清衡館(第二期豊田館)です。

 

 

あちこちに厩舎が見受けられます。

 

 

寝殿を中心に東・北・西の対屋を渡殿で結び、寝殿の床を高くし丸柱を使うなど、寝殿造初期の様式が取り入れられています。

 

 

寝殿を中心として西の方角に位置しているため、西対(にしのたい)を呼ばれます。丸柱で囲まれた空間が母屋で、その中に寝室となる塗籠がありました。母屋の周りが庇、外側が濡縁で、柱や床の高さで身分の違いを表していました。

人と屏風は直ぐには立たず。

 

 

まあ何にせよ折り合いが大事です。

寝殿造初期の建物。と栩葺(とちぶき)の屋根が特徴です。主の住まいである寝殿を中心に、東、北、西の三棟の対屋(たいのや)を渡殿(わたどの)で結ぶ構造になっています。

 

 

格を示すために寝殿の床を高くしていること、丸柱を使用していることなど、寝殿造の様式が取り入れられ、京都の影響を受けたことが推定されます。

「おもてを上げい」。

 

 

大河ドラマの見すぎでしょうか。

 

 

藤原清衡(ふじわらのきよひら)の居館「豊田館(とよたのたち)」は、後三年合戦で異父弟である清原家衡(きよはらのいえひら)の攻撃を受けて消失しあした。この戦で清原軍を敗り奥州の覇者となった清衡は、父の時代から続いた館にかわる新しい居館を、亡父・経清(つねきよ)の思いから再び江刺に建てました(第二豊田館)。清衡は、平泉に進出するまでこの館に居住したと言われます。その館を再現したのが、寝殿造初期の建築様式が取り入れられた「清衡館(きよひらあかん)」です。

「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな」

 

 

久しぶりにめぐり逢って、それがあなたかどうか判断もつかない間に帰ってしまわれましたね。まるで、出たと思ったらあわただしく雲に隠れてしまった月のようですこと。

 

 

私も一度でいいからこのように思われたいものです。

 

 

藤原経清(ふじわらのつねきよ)息子・清衡(きよひら)は後三年合戦で源義家と手を結んで清原氏を滅ぼし、奥羽の覇者となりましあ。その戦で父の時代から続いた館を失った清衡は、新しい館を再び江刺の地に建てました。清衡は平泉に進出するまでこの館に住んだと言われています。

今日はここでお仕舞です。この調子だとかなり「えさし藤原の郷」シリーズが続きそうです。

お次は「岩手県奥州市の歴史テーマパーク!「えさし藤原の郷」で平安時代にタイムスリップ④」をお届けするのでお楽しみに!

 

written by たみと(たー)