【岩手】岩手県奥州市の歴史テーマパーク!「えさし藤原の郷」で平安時代にタイムスリップ④
引き続き岩手県奥州市にある平安時代のテーマパーク「えさし藤原の郷」の記事を書きます(前回の記事はこちら)。「清衡館(きよひらのやかた)」を出ると、「炎坂」を上ります。
この「冠木門」から長い坂が続きます。
園内はびっくりするくらいに広いんです。なんと東京ドーム4個分の広さがあるんですねぇ。
さらに園内にはあちこちに寄り道スポットコースが御座います。
左には「中村の郷」か。時間が押していますが、ここまで来たら園内を隈なく回ってみたいと思います。「中村の郷」はあの大河ドラマ「軍師官兵衛」にも使われたロケスポットです。
第3回に「命の使い道」という官兵衛一行が戦さに襲われた集落を通りかかるシーンがあります。実はここはそのシーンに使われた場所なんです。
まるで大河ドラマのワンシーンに入りこんだような錯覚に陥ります。さらにこちらが大河ドラマ「秀吉」で秀吉の生家として使用された「中村郷(なかむらのさと)」。
ドラマ秀吉ではここで出世の夢を見て育ち、ついには天下統一を果たしました。名もない小百姓から一国一城の城持ち大名まで駆け上がった秀吉のサクセスストーリーは、ここから始まりました。
秀吉、信長、家康という全く異なるタイプの戦国大名。読者の皆さまはどのタイプの大名がお好きですか。
こちらは安部貞任(あべのさだとう)の妻の父である金為行(こんのためゆき)が預かっていた「河崎柵(かわさきのさく)」です。
安部貞任は平安時代中期の武将で前九年合戦(ぜんくねんのがっせん)で朝廷軍・八幡太郎義家と永承6年から12年にわたり争いました。源頼義(みなもとのよりよし)の軍が、大敗した黄海合戦(きのみのかっせん)に臨む時に集結したのもこの柵の前でした。戦の趨勢をにらんで様々なエピソードを残した柵です。
歴史好きの方であれば一日いても飽きないテーマパークだと思います。
その代わり歩くのは全く苦にならない方という前提条件がつきますが・・・。ここにも柵がございます。767年に築かれた城柵「伊治城(いじじょう)」。
この柵は蝦夷(えみし)の勢力範囲に接する朝廷の最前線の柵で、非常に重要な地点と考えられていました。多賀城が主に政庁としての役割を、またこの伊治城が軍事的な役割を担い、戦の際に食糧などの補給を行う場所としても機能していました。
やっとここで半分くらい回りましたでしょうか。最近はアトラクションなどのテーマパークよりも、このようにゆっくりと散策できるテーマパークのほうが楽しいです。
まだまだ続きますので、お付き合いください。
お次は「岩手県奥州市の歴史テーマパーク!「えさし藤原の郷」で平安時代にタイムスリップ⑤」をお届けするのでお楽しみに!
written by たみと(たー)