「八大龍王雨やめ給へ」 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

(龍泉寺八大龍王堂)

 

・八大龍王

 

 “八大龍神とか八龍ともいわれる。法華経説法の座に列したという八種の龍王で、難陀・跋難陀・娑伽羅・和修吉・徳叉迦・阿那婆達多・摩那斯・優鉢羅の八頭の龍をいう。これらの龍王のうち、娑伽羅が、雨や海をつかさどるとされたため、雨乞いや航海の神と考えられた。源実朝(みなもとのさねとも)の『金槐集』に、

 

  時により過ぐれば民のなげきなり

  八大龍王雨やめ給へ

 

とある歌は有名である。

 龍王にまつわる説話は、やはり雨乞いの話が多い、高倉天皇の時代、承安四年(一一七四)に炎旱が続いたとき、澄憲が最勝講(金光明最勝王経を五月中に五日間、清涼殿で講ずる法会)の時に龍神に祈り、たちまちに雨を降らしたという(『古今著聞集』)。”

 

 

 “龍が降雨をつかさどるという説話は、むろん天竺にもある。

 天竺に一角仙人という人がいた。額に一本の角が生えているので、一角仙人というのである。深山で修行して長い歳月が流れ、齢も重ねた。或る時、大雨が降ったとき、仙人は、けわしい山の中で足がすべって倒れてしまった。仙人は、ひどく憤り、「世の中に雨が降るから、このように満ちも悪くなってころぶのだ。苔で作った衣も湿って大変着心地が悪い。雨を降らせるのは龍王のすることだ」といって、ただちにもろもろの龍王を捕らえて水瓶に入れてしまった。

 大きな龍王たちは、このような狭い物に閉じ込められてしまったものだから、気動きもできない。そして、なにしろ仙人の力が強くて、どうすることもできない。こうして雨の降らない状態が十二年も続いたという。

 この話は、『今昔物語集』に見える説話であるが、このあと、仙人は国王が遣わした女人にまどわされて法力を失い、龍王たちは水瓶を破って空に昇り、大雨を降らしたそうだ。こうした話を見ると、雨をつかさどる神的力とは別に、龍王は、仙人には呪縛されるべき存在と考えられていたようである。

 

 埼玉県秩父市の今宮神社(旧今宮坊・八大社・八大権現社)の境内には八大龍王を祀る池があり、これは役行者が祀ったものという。役行者は、文武天皇三年(六九九)に秩父の三峯神社に来ており、今宮神社の伝承では、大宝年間(七〇一~七〇四)に同社に来ているというから、役行者は修行のためにこの地を訪れたものであろう。

 今宮神社の祭神は、伊邪那岐大神・伊邪那美大神・宮中八神・須佐之男命・八大龍王神・天満天神である。境内に立てられている神社の説明には、「大宝年間(七〇一~七〇四)には、役行者がこの地に飛来して八大龍王を合祀し、八大社と呼ばれていました。毎年四月四日の秩父神社のお田植祭は、今宮神社の水幣(みずぬさ=龍神池の水)を以て行なわれ、秋の収穫の喜びが十二月三日の秩父夜祭りを盛りあげるといわれています」と記されている。

 今宮神社境内にある池の周囲や大欅の回りには幾本もの八大龍王神の幟が立てられており、境内中央部にそびえる大欅は、おそらく樹齢千年以上あると推定される神木である。

 なお、主室文雄編『日本名刹大事典』(雄山閣、平成四年)には、龍泉寺(奈良県吉野郡天川村)について「蔵王権現。開創年代は明らかでない。寺伝によれば、開基は役小角で、役小角が八大龍王を祀ったことに始まるという。その後、修験道中興の祖理源大師聖法によって再興されたという。以後、大峯入峯の行者が水行ののち八大龍王に道中安全を祈願する行場として栄えた」(平岡定海執筆)と記されている。この龍泉寺も、今宮神社同様、役行者が八大龍王を祀ったという点が興味深い。

 旱魃における八大龍王は、水の神としてしばしば雨乞いの祈禱の場に登場し、いくつかの伝説・説話を伝えてきた。”

 

(志村有弘『八大龍王 効験あらたかな雨乞いと航海の神』 / 「別冊歴史読本 特別増刊 よみがえる異端の神々」(新人物往来社)より)

 

*どうやら役行者様は八大龍王を使役する力を持っておられるようですが、役行者を祀った寺社は全国各地にあります。ちなみに、出口王仁三郎聖師は、『役行者は艮の金神様のご分霊だ』と言われています。

 

*皆さんご存じの通り、先週は九州、そして現在は秋田を中心とする東北地方で、大雨による甚大な被害が出ています。予報では、東北は水曜日頃にも再び大雨らしく、特に雄物川の氾濫が心配です。

 

*文中の、源実朝が詠んだ「雨を晴らした歌」のことは以前にも紹介させていただきましたが、災害級の大雨になりそうなとき、大雨でこれ以上被害が拡大するのを防ぐために、多くの人が神様に祈って、この歌を唱えることで大難を小難にできるかもしれません。祈りは必ず声にして、言霊として発せられなければなりません。

 

  時によりすぐれば民の嘆きなり 八大龍王雨やめたまへ

(源実朝『金槐和歌集』)

 

 

 

 

 

 

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