肥前の瑞雲大龍神 (九州一円の守護) | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・瑞雲大龍神 (佐賀県嬉野市石垣 大本佐賀分苑) 

 

 “……この神社が存在している石垣地区には百数十年の昔からこの地区の守り神として龍神様をお祀りし、春のお祭りにはその年の豊作を祈り、夏の干ばつの時には雨乞いを祈願し、秋には五穀豊穣の感謝祭を行い、霊験あらたかな御神徳を崇め敬ってきました。この龍神様のご称号は何時の頃からか定かではありませんが、八大竜王と申し上げるようになったのです。そのことは、今から百二十七年前の慶応二年春のお祭りに石垣地区民が奉献した二本の大きな幟旗に、墨痕あざやかに奉献八大竜王社と揮毫されていることで知ることができます。その後、この旗は歴代の区長がこれを受け継いで大切に保管し、春秋二回のお祭りの時ご神前に立てていました。

 このように石垣地区の祖先の方たちが百数十年も前から篤く信仰し続けてこられた、霊験あらたかな御神徳の高いこの地の龍神様のことが大正時代の中頃、時の大本特派宣伝使古高常徳氏を通じて出口聖師様のお耳に達し、聖師様から「この龍神は九州一円をご守護頂く大事な龍神であるから、一日も早く世にお出ししなければならぬ。この龍神のご出現で九州は大きく開ける」とのお言葉があり、このとき「瑞雲龍神」と命名なされています。

 そのことをお聞きした佐賀分苑の信徒は強く感動し、聖師様のご指示にしたがって瑞雲龍神のご社殿の建設計画をたて、広く全国の大本信徒の献金をお願いし全力を尽くして一日も早い完工をめざしました。やがて昭和七年三月下旬に社殿の竣成が近づいたので、工事の進歩状況報告と御礼のために古高特派宣伝使と原口よね氏等が参綾しましたが、あいにく伊豆の湯ヶ島にご滞在中とのことで、そこでご面会いただき報告いたしましたところ、聖師様はことのほかお喜びになり、さきにご命名なされた瑞雲龍神よりももう一つ昇格してやろうといわれ「瑞雲大龍神」とご命名になり、あわせて「大本筑紫分社」のご染筆をさげられました。

 その後工事が竣成したので昭和七年四月ニ十六日に聖師様のご名代として日出麿師のご臨席を仰ぎ、盛大な瑞雲大龍神の鎮座祭および社殿竣成の報告祭が執行されました。

 このようにして創建された瑞雲大龍神社はその僅か三年後の昭和十年の大本事件で破壊され、以後は十年にわたる大戦争と、敗戦後の国内の混乱によって長い間放置されていましたが、前記のような皆々様のご援助によって、昭和四十八年十一月二十八日に瑞雲大龍神社が再建されました。この再建を機に約百年間石垣の歴代の区長が大切に保管していた八大竜王に奉献した二本の大幟旗が石垣地区から神社へ移管されることになり、社務所内に保管していましたが、この度の再建二十周年記念大祭にあたり、数十年ぶりに神社の境内に立ちました。その幟旗が爽やかな秋空にはためく有様をご覧になられて、石垣地区の人々は、遠い祖先の方々が捧げられた篤い龍神様への信仰を偲ばれ、感慨深いものがあったことと思います。”

 

  (「愛善世界」1993年11月号 中島愛一『瑞雲大龍神社再建二十周年大祭を終えて』より)

 

*瑞雲大龍神社は大本佐賀分苑(信徒連合会)の敷地内にあり、参拝には許可が必要です。