「『霊丹』の章」の拝読 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “私が金沢支部に所属していた昭和六年十月下旬のことです。支部員蚊野とく子氏が肺炎で重態におちいりましたので、支部員一同ご神前で平癒御祈願をさせて頂き、同時に本部に依頼して聖師さまに御祈念をお願ひしました。

 しかしその後も二日三日と重態が続きました。聖師さまにお願ひしたのだから大丈夫と思ひながらも、支部員一同心配して、交替でお取次ぎをさせて頂こうと云ふことになったのでした。私も呼ばれてお取次ぎを奉仕させていただき、危険状態だからといふので乞はれるままづつと側にゐて毎日数回づつお取次ぎに奉仕してゐました。

 或日のこと、医師がいよいよ危篤だと云ひましたので、知らせによって金沢市の分所支部の方々が大勢かけつけられたのでした。私もこの蚊野氏の臨終と思はれる場に居合わせたのでしたが、斯うしたせっぱつまった場合、宣伝使としてどうした方法をとることが一番よいのか分からなくて、ただただ傍らにうろうろしてゐたのでした。すると宣伝使で犀川支部長をしてゐられた松浦氏が私に「こんな時はお取次ぎと霊界物語の拝読が一番大事ですから、一生懸命にやって下さい」と私を励まして下さったのです。ハッとした私は成る程それだと思ひながら、取りあえず御手代(みてしろ)を捧じてお取次ぎをさせて頂きました。が、蚊野氏は依然として昏睡状態をつづけ、もう顔はまっさをで、呼吸はつまるし脈拍は結滞するし絶望といふより外なかったのでした。

 けれども松浦宣伝使の激励をうけてからの私は、不思議に気が鎮まって、云はば水を打ったやうな平静さになったのでした。それで思ひつくまま『霊界物語舎身活躍戌の巻第三篇天國巡覧十六章霊丹』の初めの神歌のところから、一句一句謹厳に拝読し初めたのです。

 拝読して二頁目にさしかかったときです。今の今まで臨終とさへ云はれていた重態の蚊野氏がパッと目を開かれたのです。しかも驚いてゐる私を見て朗らかに笑ひだしたのです。血色は見る見る中に現はれて来ました。私はただ感激に息づまる思ひがしました。神様への感謝と祈願の心に、私は戦(おのの)きさへ感じながら一心に尚拝読を続けて行きました。勿論病気の峠はこのまま越してしまったのです。

 その後といふものは不思議なほど順調に然も快速に快方に向かはれ、間もなく医者を驚嘆させながら全快されたのでした。

 神様、聖師さまの御威徳とか御神徳とかの偉大なことは度重なる体験によってよく知ってゐました。しかし、霊界物語は神書であることは勿論何時も聞かされながらも、又信じてゐると思ひながらも、平易通俗な言葉や表現法が用ひられてあるところを拝読する時などは、面白いといふ気持ちが主になって、ややもすれば知らず知らず畏敬の念を忘れるのが常でしたが、この時こそ私の無智だったことを強く覚らずにはゐられなかったのでした。神書『霊界物語』の

  言葉と思想は自身にて

  力を有するものならず

  主神(すしん)の命に随(したが)ひて

  活動するとき始めてぞ

  権威(ちから)を生ずるものとなす

の聖言が思ひ出されて霊界物語中の如何に平易な言葉通俗的な思想といへども主(す)の神の御意志によって一度天下に発表されたところに、無限の権威があり、したがって最大の神威、霊徳が発揮されるのだと深く悟らせて頂いたのでした。”

 

(「神の國」昭和9年6月号 唐島紀二『神書霊界物語に救はる』)

 

 

・病人には天国篇(47、48巻)を

 

「病人には天国と霊国のところだけを拝読してやれよ」と聖師さまからお示しを頂いたのは四十年前のことでした。その頃、病床にいた父(松村真澄)の願いによって家の者が交代で巻を追って拝読をつづけていましたが、場面によっては非常に苦しむので聖師さまにお伺いしたのです。その後はお言葉の通りを実行し、四十度近い熱も五章ほどつづけて拝読さしていただくと自然に汗が出て熱は下がるし、疼痛を訴えていたのが、いつの間にか熟睡できるようになりました。」”

 

       (「霊界物語のしおり」第三号「病人には天国篇を」大国清香)

 

*「霊丹」の章は、第47巻にあります。 

 

*出口王仁三郎聖師は、『(霊界物語は)神より見ればみな金玉(きんぎょく)の文字』であると、要点だけを抜粋してダイジェスト版をつくるような行為がいかに愚かであるかを物語の中で述べておられますが、唐島紀二宣伝使もまた『霊界物語中の如何に平易な言葉通俗的な思想といへども主(す)の神の御意志によって一度天下に発表されたところに、無限の権威があり、したがって最大の神威、霊徳が発揮されるのだ』と書いておられます。私たちは、しばしば美しく感動的な文章や、具体的に教義や思想が述べられている箇所こそが重要だと思い込んでしまいがちですが、「霊界物語」は、人間出口王仁三郎の言葉ではなく、神人合一の状態、つまり主神・神素盞嗚大神の神格に充たされた出口聖師の口から発せられた、『主神ご自身の救世の言霊』が記されたものであって、それ故にどんな馬鹿馬鹿しい冗談や駄洒落、糞や小便などの下品な言葉、あるいは単なる接続詞であっても、一言一句のすべてに御神威が籠っており、生きております。「霊界物語」は御神体です。

 

 

・出口聖師がお休みのとき、お側で拝読していたときのお話

 

 “…… 拝読を続けておりますと、どうしてもくたびれてきて、所々まちがって拝読してしまいます。すると、『そこは、……であります まる(。)』とか『そこは、……して てん(、)』と、句読点まで間違いを指摘され正されました。当然のことですが、すべてご存知なのです。本を読んでいるのは私の方なのですが、休んでおられる聖師さまに間違いを句読点まで訂正されながら拝読させていただきました。” 

 

(「おほもと」平成7年8月号 中井和子「聖師さまが『あんたなぁー霊界物語を読んどるやろ』と」より)

 

 

・「上品なところから下品なところまで……」

 

 “わたしにその癖があったからでしょうが、「学校で学級的に研究するように読んでも霊界物語はわからん、もっと素直に受けとれ」と聖師は言われる。「霊界物語には特別に上品なところから、下劣きわまりないところまでいろいろある。だからすべてを素直に受けとるわけにはいかない」と私がくい下がると、聖師は、

 「上品なところから下品なところまで一切を網羅してあるのが霊界物語だ。お前の心身にしてもそうだろう。非常に高貴な面もあれば下劣な面もあるが、すべてが寄りあってお前の人格となっているじゃろ。それと同じように考えて霊界物語を読めば、立派な神書だということが理解できるはずだ」

というようなことを言われた。”

 

・カバラー(ユダヤ神秘主義) 〔バール・シェム・トヴ(ラビ・イスラエル・ベン・エリエゼル)〕

 

 “祈りにおいて、知っているかぎりのあらゆる集中の術をもちいる者は、まさに彼が知っていることだけを行うにすぎない。しかし、大きなつながりにおいて言葉を語る者は、その一つ一つの言葉の中に集中の全体がおのずからはいっていくのだ。というのは、どのしるしもひとつの全き世界であって、言葉を大きなつながりにおいて語る者は、あの上なる世界を目覚めさせ、ひとつの大きな業(わざ)を行うのである。”

  

 “人間のあらゆる思想のなかに神の現実が隠されている。そして、どんな思想もひとつの完全な姿である。さて、人間の思考の中に、彼の祈りのとき、ある悪いまたは見知らぬ思想が浮かぶとすれば、それは、人間がそれを救って高めるために彼のところに来たのである。しかし、このことを信じない者は、天国の軛(くびき)を真に受け入れていないのだ。”

 

          (マルチン・ブーバー「祈りと教え」理想社より)

 

・ウンベルト・エーコ 「薔薇の名前」 

 

 *ネタバレがあります。

 “観念したホルヘはウィリアムに本を差し出します。革手袋をはめて読み始めるウィリアム。ページの端に毒が塗ってあること、すなわち、ページをめくるために指を舐めると毒がまわって死ぬこと、この本を手にした者は皆それが原因で死んだことを見抜いていたからです。彼はホルヘが施療院から持ち出し、塗ったものでした。本には、ベンチョが証言し、また目録にも記載があったように、まずアラビア語の写本があり、次にシリア語の写本があり、三つ目にギリシャ語の『キュプリアーヌスの饗宴』の注釈が綴じられていました。そして四つ目が、『書き出しを欠いた書物で、娘の乱交や娼婦の情事について記したもの』、すなわち、アリストテレスが『詩学』の第一部で悲劇について語ったのち喜劇について書いた第二部でした。

 ウィリアムは、ここでアリストテレスが笑いを「いわば有徳の力として、認識的価値さえ備えうるもの」とみなしていると解釈します。笑いは、「機知に富んだ謎や予想を超えた隠喩を介して、事物をあるがままと異なるかたちで、まるで欺こうとでもするかのように、わたしたちにつたえることによって、実際には、わたしたちが事物をもっとよく見るように仕向け、なるほど、確かにそのとおり、知らずにいたのは自分のほうだ、と言わざるをえないようにする」と、その効能を説くのでした。

 喜劇についての本がほかにもあるなかで、なぜこの一巻だけを隠し通そうとしたのかを問うウィリアムに、ホルヘは「なぜなら、あの哲学者の手になるものゆえ」と答えます。アリストテレスの哲学思想はキリスト教世界にとって基盤となるものであり、それゆえにとびきり危険な影響力をもっており、そのアリストテレスの喜劇論が流布すれば、ついには神のイメージが転覆を免れられず、人々は笑いによって神への畏怖を忘れてしまう、とホルヘは嘆きながら述べます。そして、「この書物は、間違えば、平信徒たちのことばには何かしらか智慧がふくまれているという考えを是認しかねないものだ。それは食い止めねばならぬ。…〈中略〉… ホルヘがアドソからランプを奪い、床に積まれた本の山に投げました。たちまち火の手が上がります。ホルヘはそこにアリストテレスの本も投げ入れます。燃え盛る炎はやがて建物全体にまわり、長きにわたって世界中から集められてきた膨大な本は、巨大な迷宮とともにすべて失われてしまいました。

 ホルヘが隠しつづけてきたもの、それはアリストテレスが喜劇について記した書物でした。ホルヘはなぜそれを隠したのか。ここでは笑いと真実の関係をめぐる議論というものが中心にあると考えられます。これはエーコという作家、そして哲学者にとって生涯にわたり中心的なテーマでもありました。つまり、真実とはどこにあるのか、どこから来るのか、という問いがエーコにとって生涯変わることのない問いであり、その問いをめぐって理論書がかかれ、小説が書かれ、エッセイが書かれてきた。そして真実と笑いの関係の考察を小説において最初に実践したのが、この『薔薇の名前』という作品でした。

 焼け落ちた図書館から脱出したあとのウィリアムに、エーコはこう言わせています。

 

 「ホルヘがアリストテレスの『詩学』第二部を怖れたのは、もしかしたら、その説くところがあらゆる真理の貌を歪め、ほんとうにわたしたちがみずからの幻影に成り果てかねない点にあったのかもしれない。おそらく人びとを愛する者の務めは、真理を笑わせ、真理が笑うよう仕向けることにある。なぜなら唯一の真理とは、わたしたちみずからが真理に対する不健全な情熱から解放される術を学ぶことであるからだ」

 

     (「NHK 100分de名著『ウンベルト・エーコ 薔薇の名前』」和田忠彦)

 

*「霊界物語」は、世にも稀な『笑える聖典』であり、まさに哲学者ウンベルト・エーコが待ち望んでいた、我々を真理に対する不健全な情熱、何世代にもわたって固定化したものの見方や思考パターンから解放してくれる書物ではないでしょうか。

 

*たとえ病人が昏睡状態であっても、寝ていても、精霊は常に目覚めています。むしろ寝ている人に聞かせる方が、先入観に邪魔されないのでミタマによくしみ込むかもしれません。また、エドガー・ケイシーは、聾唖の子供の治療として、母親の声による暗示が有効であると述べています。たとえ肉体が聴覚を失っていたとしても、霊体の聴覚には問題ありません。

 

・「明示法」による障害児の治療 〔エドガー・ケイシー〕

 

 “次に紹介するのは、肉体的に非常に困難な状態で生まれてきた八歳の聾唖の男の子に与えられたリーディングの一部である。お母さんが子供に湿電池という器具を用いた治療をしている間に明示を与えなさいといって、

 

 「子供は聞くということはない。完全な視力もない。正常な味覚もないし、声も出せないが、私たちは繰り返し与えられる明示に、この魂、この実体、この潜在意識、無意識、超意識は反応するとみている。お母さん、ご自分のことばで語りかけてください。次のような目的で、祈りか明示をやってください。『この子は日々の生活の中でお世話になる方々に対する偉大な奉仕のために働きます。今ここにある無限のエネルギーの御意志に完全に同調しますように』と。こうしてやってください。ではこれで終わる。」(3676-1

 

 もう一つ、「転生の秘密」の67ページに記されている例である。これは慢性夜尿症で親を困らせている十一歳の少年の話である。この少年が、二歳のときに彼の下に赤ん坊が生まれたが、このときから彼は毎晩寝小便をすることになった。地方検事であったこの子の母親は、心身医学的な治療や精神科学的治療をはじめとするさまざまな治療をこの少年に受けさせたが、効果が上がらなかった。ついに両親はエドガー・ケイシーのことを聞き、リーディングをとった。リーディングでは、子供のカルテの説明と共に治療法が与えられた。そしてその治療法においては、少年が夜眠りに入る前にある明示を与えること、そしてその明示の内容は、肉体的なものではなくて霊的なものでなければならぬと指示された。

 母親はリーディングの指示を実行した。リーディングを受けてから間もなくのある夜、彼女は少年のベッドのそばに坐って、少年が眠りに入るのを待って次の言葉を低い単調な声で言いはじめた。

 「あなたは親切で立派な人です。あなたは多くの人を幸福にするでしょう。あなたはあなたが付き合うすべての人を助けるでしょう。あなたは親切で立派な人です」

 同じ意味のことを、いろいろな言い方で、五分から十分、子供が眠りかけたときに繰り返した。するとその晩九年ぶりで、少年の寝小便のくせはピタリと止んだのだった。母親は数か月間この明示をつづけたが、少年はその間一度も寝小便をしなかった。次第に、週に一度の明示ですむようになり、そしてついにその必要もなくなってしまった。少年は完全に治ったのである。そればかりかその後の少年の成長の報告によれば、『親切で立派な人』 になったのである。

 

 「私たちはここに、明示に快く従う身体をもっている。すべての身体は、普通ではない心を通して、身体の交感神経系を通して、明示に快く従う」(4648-1

 

(福田高規「エドガー・ケイシーの人生を変える健康法」たま出版より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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