無原罪の御宿り 〔聖母マリア〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・エドガー・ケイシー

 

 “リーディング(特に五七四九シリーズ)はキリストの誕生が如何に準備されたかを克明に描写している。そしてマリアが選ばれ、養育される様子と、もちろんイエス誕生の様子に至って描写はクライマックスを迎えるのである。リーディングはイエスの処女降誕を断言するだけでなく、古代東方の伝承にすらないことを主張する。すなわちマリア自身も処女懐胎した、つまりマリアの母アンも人間の男性を知らずしてマリアを生んだ、という(五七四九-七、八)。リーディングは終始一貫してマリアを高く評価している。マリアは処女懐胎によって母体に宿っただけでなく、非常に神秘的・不可思議な概念であるが、「地球に関する限り……、主が地上に入られた際に、マリアは主と双子の魂(ツイン・ソウル)であった!」(五七四九-八)ということだ。

 

原註

 プロテスタントの人々はこのような話に反発を覚えるかもしれないが、ケイシーのリーディングは、マリアはイエスと同じく、「子宮に宿った瞬間から原罪を持っていなかった」と断言している(五七四九-八)。このことは「マリアの無原罪懐胎」を主張するローマ・カトリックがこの点で正しいことを裏付けるものである。

 

(リチャード・ヘンリー・ドラモント「エドガー・ケイシーのキリストの秘密」たま出版より)

 

・一八五八年、ルルドのマッサビエル洞窟での聖母マリアの御出現

 

 “しかし、三月二十五日、聖母のお告げの祝日がめぐってくる。ベルナデッタは、目が覚めるとすぐ、心の中で、マッサビエルへ来るようにと呼ばれているように感じる。両親に、「洞窟に行かなければなりません」といって、エスペルージュの道を辿る。洞窟に着くと、女のかたはすでにそこにおられ、ベルナデッタを待っておられるように見える。ベルナデッタは次のように語った。「その女のかたは、愛情深いお母さんが子どもたちをじっと見守るように、静かにほほ笑み、群衆をみつめながら、そこにいらっしゃいました。わたしはそのかたの前にひざまずき、遅れてしまったことをおわびしました。そのかたは、いつもわたしに対してやさしく、あやまることはありませんと、頭で合図をしてくださいました。そこでわたしは、自分が抱いている愛情と尊敬のすべてを表わし、そのかたにまたお目にかかれてうれしいといいました。心の中に浮かんできたことをみな話してから、わたしはロザリオを取り出しました」。すばらしい心の打ち明け!しかも、たまたまいわれたことであるとしても、このベルナデッタのことばは、なんというすばらしい祈りの定義であることだろう!

 しかし、今や、ご出現になっているそのかたが近づいて来られる。ベルナデッタは立ち上がって、洞窟のくぼみの下まで進んで行く。そして、ロザリオを手に持ったまま、そこに立つ。そのとき、二人の間に忘れることのできない対話が交わされる。三度――後にベルナデッタは四度という――少女は、その不思議な女のかたに尋ねる。「お願いです。どうか、あなたがどなたなのかおっしゃってください」。何度かの問いかけに対して、最初女のかたは、いつものように頭を下げ、ほほ笑まれるが、何も答えられない。ベルナデッタは懇願する。さらにもう一度、手を合わせ、自分がお願いしている恵みにふさわしくないことを知っていながらも、わたしは自分の願いを繰り返しました」。そのとき、女のかたは荘厳な面持ちになられ、へりくだっておられるようにみえた。それまで手を合わせておられたが、今は、不思議のメダイの聖母のように、両腕を開き、下の方に伸ばされる。そのため、純白の宝石の珠と金の鎖のロザリオは、手首のところまですべり落ちる。それから再び手を合わせて、胸に近づけ、目を天にあげて……「そのかたはわたしに、『わたしは無原罪の宿りです!』と、おっしゃいました」。”

 

(アンドレ・ラヴィエ「ベルナデッタとロザリオ」(ドンボスコ社)より)

*聖ベルナデッタの不朽体

 

*今日12月8日は、昭和10年の第二次大本事件勃発の日であり、その6年後の真珠湾攻撃の日、つまり太平洋戦争開戦の日でもありますが、同時にカトリックの典礼暦では「無原罪の聖マリアの祝日」となっています。不思議なことに、2月11日の建国記念日は、「ルルドの聖母の祝日」、終戦の日の8月15日は、「聖母マリア被昇天の祝日」で、1549年にザビエルが日本に上陸したとき、日本という国を聖母マリアに捧げた日でもあります。そして、9月8日のサンフランシスコ講和条約調印の日は、「聖母マリアの誕生日」、今日の真珠湾攻撃が行われた12月8日が、「無原罪の聖マリアの祝日」と、日本にとって重大な出来事のあった日はことごとく聖母マリアの祝日と重なっています(9月8日や12月8日は、皇道大本にとっても重要な日です)。これを思うと、日本と聖母マリアとの不思議なつながりを感じずにはおれません。

 

*聖母マリアは、あくまでも被造物であって神ではなく、よってローマ・カトリック教会では、三位一体なる神への崇拝信仰と区別して、聖母に対しては崇敬信心の用語が使われています。ですが、実質的には異教の女神崇拝とほぼ同じような状態となっており、そのためプロテスタントからは偶像崇拝として誤解されてしまうのは仕方がないことなのかもしれません。この問題については、エドガー・ケイシー・リーディングの中の「地球に関する限り……」という言葉に注目すべきであると思います。

 

*TVルルド(ルルドからのライブ映像)

 

 

 

 

 

 


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