三千年間醸造の神酒 「大江山の鬼ころし」 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “出口聖師にとって霊界物語は三千年間(無限の年数)の日子を費やして、神さまの造られた清酒に相当する神教である。天の時が到来して大正十年十月十八日に発表されるまでは絶対の秘密としてあった教である。

 大化物は開祖の神諭に示された出口聖師のことである。聖師は物語発表までは神意に叶う説を借用して宣伝されていた。神霊界大正八年十一月一日号十五頁に、

 

 地質学上より見たる大地の中心点に、天下無類の大化物が顕現して丹波の真奈井の石清水と五十鈴川の清流を酌み上げ、駿河と美濃と尾張の米を搗き研いて古今独歩の珍無類の美味を有する大本濁酒を醸造し、之を天下に普く売出したる所、上戸も下戸も先を争ふて之を飲み、酔うて管巻くものもあり、歓こび勇んで踊るもあり、笑ふもあり、泣くもあり、怒るもあり、顛倒するもあり、然れども一旦美味を覚えた上戸も下戸も、再び吞まずには居られないと見えて、各自に小言を並べ管を巻きつつ、盛んに大本濁酒を買って飲まんとするものの日に月に殖える斗りである。併し神愉所示の如く、七月十二日も過ぎたる事なれば、最早濁酒の売出しは止めねばなりませぬ。

 其代わりとして三千年間の日子を費やして、神の造られた清酒の売出しを致します。酒の名は大江山の鬼ころしと命名しました。

 何人も勝手次第に汲み取って下さい。売ると謂っても決して代金は請求致しませぬ。只々丹波の山奥まで来て頂くのが御苦労であります。併し世界の鬼を退治して心の鬼を殺す、力の在る銘酒である事だけは、何処までも保証致します。今度の清酒を好く燗をして、適度に飲んで、腸綿に浸み込ましさへすれば、今までの濁酒を呑んだやうに、泣いたり、怒つたり、下らぬ管を巻いたりする心配はいりませぬから、安神して買求めを希望する次第であります。今迄の濁酒といへども好く注意して飲んで来た人には良薬にこそなれ、決して毒には成っていないのであります。只下戸の中に一人や二人や三人位い悪酔ひして、乾坤一擲と云ふやうな管を巻いて、皆さんに心配をかけた泥酔者が、少しく現はれたに過ぎないので在ります。併し飲んだ酒なら酔はねば成るまい、酔うた酒なら醒めねば成るまい、忠臣蔵の文句じゃないが、何れ醒めるときが来るでありませう。

 

 ここに示された銘酒「大江山の鬼ころし」とあるのは、霊界物語であることは明白である。「世界の鬼を退治して心の鬼を殺す力の在る銘酒」こそ霊界物語であるから。

 この霊界物語に秘められたる力によれば、すべての悪を善と化し、偽りを真に立替え、立直して地上をたちまち天国に化す神徳がみちみちている。”

 

(「霊界物語のしおり 第45号」  木庭次守『三千年間醸造の神教「霊界物語」』)

 

 

・内流 (音読による神気の流入)

 

 “「霊界物語」を拝読するとき、神の言葉を今承(うけたまわ)っているのだという心構えであれば、魂の中に入るけれども、何か小説でも読んでいるような心構えであれば、得るものが少ないのである。

 声を出して読めば、自分の耳に神のお言葉が直接響いてくる。神の御声を聞きつつあるという心で読めば内流となるのである。

 神は現実の世界に住む者に対しては直接内流はくださらぬ。そこで聖言に依って内流するのである。「霊界物語」は瑞霊の教であり、聖言なのである。これによって生命の糧は与えられるのであるから、物語を常に拝読するように心がけなくてはならぬ。物語の中に神は坐しますことをさとらなくてはならぬ。”

 

(「愛善苑」昭和25年7月号「瑞言録」大国以都雄編)

 

 

・神通力を授かる

 

 “子供でもケンカの時、軽蔑した声で「イー」とやる。わしは、言霊の活用ではないかと思っておった。そしたら聖師様は、「子供ちゅうものは、純真なもので、神さまは、よう出来ておるなあ、イーちゅうのはどういうことか知っとるか、大国」

 「知りまへん」

 「あのなあ、この指を〇〇〇〇にしてイの言霊で切ってみい、ほんとに斬れるぞ。まあ、めったに使っちゃいかんが、どうにもならない時に、一ぺん体験のために切ってみい」

 当時月宮殿の工事のとき、月宮殿をつぶすべく、霊があばれ、神がかりが多かった。夜は何組も組をつくって、警戒さしたんです。

 ところが、なんぼやっても、むこうの逃げるのが早いんです。シマッタと思って、イェーッとやったところ、パタッと倒れた。「ああ、おれも出来るわい」

 そうしたところが、死んじゃあいまいかと今度は心配になった。(笑)ただその後、その人の背中に数日間赤い印がスーと肩から腰についていましたね。聖師さまに言ったら、

 「もうやるなよ。しかし、霊界物語に書いてあることはお前、出来んように思っているけれど、みな出来るんじゃで。物語を充分読んでおったら、イザというときの力がそなわるのじゃ」

 神様は、力をやろう、やろうとしておられるのに我々はそれを拒否しとる。うんと拝読せなならんなあと思いましたね。

  「それだけの力を霊界物語を読んでおる人には与えられる。読んでない人がなんぼいうても威力はでんぞ」と言われた。”    

   
(「愛善苑」昭和四十六年八月号 大国以都雄『聖師の血と肉、霊界物語』)

 

 

・「霊界物語」の読み方


 “十三巻から読み始め、何冊か読み続けていた昭和三年の十一月(九歳のとき)のことです。

 聖師さまが西日本方面をご巡教になるということで、大阪管下信徒で大阪駅に見送りに行かせていただきました。私も父に連れだってお見送りに行きました。大阪駅には五分間ほど停車していましたが、そのとき聖師さまにご面会いただき、おことばを頂きました。

 聖師さまも窓から顔を出され、だれが来ているかご覧になり、それぞれに短い会話を交わされました。私は聖師さまと直接ご面会することは初めてのことでしたので、恥ずかしくて、父のマントの袖を持って隠れるようにしておりました。

 聖師さまは駅のホームに並んでいる信徒の顔を一通り見ておられましたが、私の顔を見て『この子、どこの子や?』と尋ねられました。父が「はい、私の娘でございます」と申し上げますと、聖師さまは私の顔をじっと見られて、『あんたなぁー、霊界物語を読んどるやろ』とおっしゃった。

 「はい」とお答えしましたら、続いて『十三巻から読んだな』と。『今はそれでいい。もうだいぶ読んでいるから、そのまま七十二巻まで読み終えなさい。しかし、今度は一巻から順をおって読みなさいよ。むずかしくてもかまわない。字だけ読んだらよいのやから』と言われました。

 周りにいたある大人が「それじゃあ、もう一回、一巻から読み直したらええ」と言ったんです。すると聖師さまは『それは、あかん。霊界物語は水が流れるように読ましていただくものや。水は高いところから順番に流れてくるやろ。中流まできて、元の水上に戻ると逆流する。そんなことはダメや。水の流れるように読みなさいよ』と。

 さらに、『一巻から十二巻までに重大なこと、一番肝心なことが書いてある。これが大事なんやで』とも教えていただきました。

 だれも私が霊界物語を拝読しているなどとご報告していないのに、開口一番に『霊界物語を拝読してるやろ』と。しかも『十三巻から読んでるな』とおっしゃった。ご神書にある“神さまはお見通しである”ということは、だれがなんと言おうとそのとおりだと確信しました。四六時中、神さまはお見通しだ、だから曲がったこと、間違ったことはできないんだと、心にやきつきました。”

 

(「おほもと」平成七年八月号 中井和子「聖師さまが『あんたなぁー、霊界物語を読んどるやろ』と」)

 

*明日10月18日は、「霊界物語」の御口述が始まって、ちょうど百年目の記念すべき日です。出口王仁三郎聖師は、「霊界物語が一組あれば、それを種にしてミロクの世は実現できる」「音読する者は神業に参加しているのだ」と言われました。また、「一巻でも読めば救われる」とも。どうか一人でも多くの方に、霊界物語を音読して頂きたいと思います。

 

*今は「霊界物語」はネット上でも全文が公開されていますが、ある人から、紙の本の霊界物語を読んでいて、金色の霧のようなものに包まれる不思議な体験をしたが、ネットで読んだのでは何も起こらないし何も感じない、とのメールを頂いたことがあります。私は言霊こそが重要だと思っておりますので、ネット上の物語を音読することでも内流を受けることができると思っているのですが、出口聖師は、「日本は言霊の幸はう国であり、紙は神に通じる、だから御神体は紙なのだ」と言われたことがあります。ですので、できれば第一巻だけでも、紙の本を購入して拝読して頂きたいと思います。また、毎晩金縛りにあっていた人が、第一巻を枕元に置いて寝るようにしたら、二度と金縛りにあうことはなくなった、という話もあります。

 

 

「霊界物語」は、大過去(神代時代)の過去・現在・未来を述べたものであり、それが大現在(今の世)の過去・現在・未来に投影され、さらに大未来(ミロクの世)の過去・現在・未来へと投影される。

 

 “大正十一年十月二十五日号「神霊界」に、「松葉の塵」と題する小文が掲載されている。執筆者は「八島別」。教団の機関誌「神の国」は第一次大本事件によりしばらく休刊、大正十一年十月十日号を「復活号」として再刊したが、八島別はその号でも「山椒粒」なる投稿欄に辛味の利いた文を掲載している。

 では八島別とは一体何者?当時の教団内に、「霊界物語」に登場する神名をペン・ネームに使用できる者があるとは思われない。また教義の根幹に係わる重要な内容の発表は、王仁三郎以外には許されぬ。当時、王仁三郎は第一次大本事件で裁かれる身で、教団の役職から隠退し、機関紙への論文の発表も遠慮していた。八島別こそ、王仁三郎の世を忍ぶ仮の名であったと断定しよう。

 

 「霊界物語の時と場所とが解らぬといふ人が多い。之は誠に尤(もっと)ものことと思ふ。或人はこれは天の霊界神界の事であるといひ、或人は昔の神界の事であるといひ、何れにしても解らない。そこで私は四ヵ月以前に先生(註・王仁三郎)に尋ねてみた。すると先生は神界幽界現界の各界に過去現在未来があって、つまり全部で九界となる。其の中、霊界物語は太古における現象を主として神界幽界との相互の関係を述べたものであると申された。すると霊界物語は有史以前の太古における地球上の人間界に起こりたる事実を主として記したものであるといへる。但し当時の人間は今の人間と全然等しからず故に之を神代と云った。昔の事と今の事を一緒に書いたからとて何も時間空間を超越した訳ではない。つまり今の世は大現在の事であって此の大現在中に過去現在未来がある。吾人が読んだ歴史はこの大現在の過去の事実である。而して其の有史以前に大過去の世があり、其の大過去中に過去と現在と未来とがある。歴史は繰り返す意味に於いて大過去の過去は大現在の過去に映り、大過去の未来は大現在の未来に映る訳である。又同様にして大未来があって之にまた過去現在未来があり、此時が真の立替立直しされたる三千世界の五六七(みろく)の神代とも思はれる。先生が之はよい質問であると、直ちに筆を執って書かれたのが第六篇(註・第六巻)の序文松葉の塵である。」(執筆者・八島別)

 

 王仁三郎の空間観によれば、太陽系天体を小宇宙、小宇宙の無数の集まりを大宇宙という。我々人体もまた一つの小宇宙を型どっている。天祥地瑞(73巻~81巻)は大宇宙の核となる最奥霊国、紫微天界の創造物語であるから、さらに特殊な時間感覚を持たねば理解できない。

 かつてこのような時間観を述べた人を、寡聞にして私は知らない。王仁三郎にとって、時間は過去から現在・未来へと直線的に流れるばかりでなく、大過去・大現在・大未来の各段階に質的にも超越的飛躍があるのだ。しかも大過去は大現在に、大現在は大未来に投影(単になぞるのではなく、その間に質的にも向上)するという。”

 

 (出口和明「スサノオと出口王仁三郎」(八幡書店))

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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