霊的、精神的な食事 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・エドガー・ケイシー

 

「怒っているときに食事をすると消化不良をおこしてしまう。これは赤ちゃんも一〇五才の老人も同様なことである。何才であっても、怒りながら食事をすると体内に毒素がつくり出される」(三一七二‐一)

 

「身体の中にもっと水を取り入れなさい。もっと定期的に。そうすればこの身体の肝臓とか腎臓の働きはもっとしっかりするだろう。こうして老廃物の排せつの正しい状態が身体にできてくる。身体の中には排せつの通り道がたくさんあるのだから。

 身体の中に水が欠乏すると、正常なら消化管や腎臓を通してきれいにされる老廃物が身体に残ってたまってきて、この老廃物をむりやりに毛細血管に押しもどしてしまう。これが充血や器官の弱さとなり、心のストレスや身体の緊張を生んで、身体のどこかに病気の原因をつくる」(二五七‐七)

 

「いつも水をたくさん飲みなさい。食前にも、食後にも、いつも言っていることであるが、なにか栄養物が胃の中に入ると、その中はたちまち倉庫か道具箱のようにごったがえしてしまう―― それは消化器系の中で適当な消化をするために必要な要素をつくりだすはずであったのに。もし一番はじめに純粋の水を飲み、それから食べれば、反応はきわめて正常にうまくいく。また毎朝起きたとき一番に、コップ半分か四分の三ほどのお湯を飲みなさい。熱過ぎもぬる過ぎもしない、気持ちの悪くならないほどのものである。そうすれば有毒なものから身体をきれいにしてくれる」(三一一‐三)

 

 がっかりしたり疲れているときは、食べようとするよりも水を飲みなさい、というリーディングの注意も頭のどこかにおいた方がよい。もちろん適当な温度のお湯があれば最高である。

 

 リーディングは当時の多くの人たちに対して、カルシウムとヨウ素の摂取をうながしている。海藻を食べることの少ないアメリカの人たちに、たびたび海藻を食べるように注意し、ケルプという海藻のふりかけまで作らせて定期的に食べられるようにもした。

 

「アルカリ性になる食品八〇に対して、酸性になる食品二〇の割合で食べること。そうはいっても、あれやこれやと思い迷って実行できなかったり、頭で考えたことのドレイとなって神経質に秤にかけるようなやり方はしない方がよい。

 ただ、かんきつ類のジュースと穀物を同じ食事でとってはいけない。コーヒー、紅茶にクリームやミルクを入れてはいけない。どんな種類のものでも、油であげた食品を食べてはいけない。白パン、ジャガイモ、スパゲティなどのでんぷん質の食品を同じ食事中に食べてはいけない」(一四五八)

 

「生野菜にはリンパの浄化作用がある。肉や菓子よりもすみやかに、大脳皮質や脊髄の中心部にあり中枢の働きをしている神経細胞を形成するだろう」(九〇〇‐三八六)

 

「生野菜は精神的にも、霊的にもよい」(二八八‐四)

 

「どんな種類でも、肉をたくさん食べてはいけない。食べてもいいのは鳥か魚、それから血液を浄化してくれる野菜類である。煮た根菜類は玉ねぎ、大根、人参など、生では人参、セロリ、レタス、これらは身体の中で心や霊的な力とも調和して働くだろう」(二八八-四)

 

「この身体の状態は、ある食物を食べたことからくる。ある成分を吸収した結果である。身体の中にある老廃物がバクテリアを発生させる原因となり、それが筋肉や神経に結晶体をつくり出している。これが骨盤、腰椎、仙椎、坐骨神経の部位、ひざ、足に表われている。その全部に痛みがある。これが急性の痛み、リウマチ、神経炎のはじまりである。神経細胞性関節炎反応であり、これは豚肉を食べた結果である」(三五九九‐一)

 

(生後五日の赤ん坊について)「いつも言っているように、このような授乳期には、すべての幼児にとって脂肪がもっとも害がある。そしてお母さんの怒りもいけない。おこらないようにしてくださいね」(一二〇八‐二)

 

「果物や野菜に含まれた甘味以外のどんな形の砂糖も、十八カ月過ぎまで与えてはいけない」(一二〇八‐六)

 

(夜眠らない四才の男の子について)「一つは頭が夜働いているから、それから同化作用に障害がある。そこで今日二、三滴ずつのピーナッツオイル、明日二、三滴ずつのオリーブオイル(共に食用のものに限る。薬用のものは用いないこと)と、交互に与えるとよい。これらは肝臓の循環をよくし、肝と腎の機能を強化する。そして夕方からよく寝るようになる」(一七八八‐五)

 

(福田高規「エドガー・ケイシーの人生を変える健康法」(たま出版)より)

 

*ケイシー・リーディングでは、特に揚げ物と豚肉は厳禁ですが、豚肉でも豚足などのゼラチン質の部分、レバー、カリカリに焼いたベーコンは食べてもよいとされています。ただ、ベーコンや脂肪を野菜と調理してはならない、ともあります。

 

*福田高規先生は、もう60年も前からエドガー・ケイシー関連の活動に携わっておられる方です。この「人生を変える健康法」が最初に出版されたのは30年以上昔になりますが、ケイシーのフィジカル・リーディングに焦点を当てて紹介したものとしてはおそらくこの本が最初であり、ヒマシ油湿布のやり方が載せられたのもこの本が初めてだったと思います。ビタミンやゼラチンの作用や、ケイシーが勧めた体操についても詳しく、わかりやすく書かれています。

 

・ルドルフ・シュタイナー

 

 “シュタイナーはオーソドックスに、まず三大栄養素のことを話している。

 蛋白質は、良質の穀物・実から摂取するのが最善だ。幼児が肉・卵・ジャガイモから蛋白質を過剰に摂取すると、栄養本能が損なわれ、適切なものを適量欲することができなくなる。

 脂肪は、葉菜に含まれているものを中心に摂るのが好ましい。

 糖分は、炭水化物から摂る。当分は、適量摂取していると個性がはっきりした人間になり、不足するとあまり個性を発揮できなくなるので、大切なものだ。しかし、精製された砂糖は嗜好品になり、子どもの個我の発展を弱める。

 蛋白質が少ないと体は消耗し、多すぎると動脈硬化になる(だから、ピタゴラスは豆を避けた)。

 脂肪は、心臓と肺にとって大事だ。

 炭水化物が不足すると、呼吸がしっかりせず、声がかすれることがある。

 植物・穀物の実が腹部に作用し、葉が胸部に作用する。根は頭部に作用する(根に含まれる塩類が前脳に作用する)。”(P41、P42)

 

 “シュタイナーは、

 「肉食は人間を戦闘的にし、菜食は広い視野を与える」

 と言っている。菜食にしていると精神生活にとって好都合だ、と言っている。植物は太陽の光を受けて育つので、天を志向しているといえるのだ。

 肉食の場合は、動物の情動を取り込むことになるという。人間に食べられるために殺される動物の気持ちを思うと‥‥‥。

 「菜食にしつつも、精神を高めようとしない人は、かえって不調和を招く」

 とシュタイナーは言う。精神性を高めるつもりがないのに菜食にしているのは、どこかに無理があるというわけだ。”(P43)

 

(西川劉範「シュタイナー式 優律思美(ユーリズミー)な暮らし」(風濤社)より)

 

*シュタイナーは「菜食にしつつも、精神を高めようとしない人は、かえって不調和を招く」と言っています。確かに、私が過去にお会いした玄米食の実践者の中に、何人かやたらヒステリックな、ほとんど狂信的ともいえる玄米食信者がおられたのを覚えています。そして、ある知人からも、地区のイベントで、子供たちにお菓子を配ろうとしたら、母親の一人から、やれ白砂糖がどうの、添加物がどうのと、いきなり大変な剣幕で文句を言われたという話を聞いたことがあります。最近、ヴィーガンの連中の過激な行動についてのニュースを目にするようになりましたが、何だかその理由がわかったような気がします。また、書店に並んでいる食事療法や食品公害についての本には、やたらと不安や恐怖をあおる強迫的なタイトルのものが多く、それらはたとえ事実を述べているものであったとしても、一方で人々の精神的な健康を損なっているようにも思います。特に、比較的意識の高い、子供のことを真剣に考えている母親たちがターゲットにされ、狂わされているようで、かえって社会に悪影響を及ぼしているようにも思えるのですが、それは考えすぎでしょうか。

 

*白砂糖の害については既に多くの方がご存じだと思います。エドガー・ケイシーも、甘いものを控えるよう繰り返し述べていますが、少量なら摂ってもよい甘味として、蜂蜜やテンサイ糖と共に、サッカリンが挙げられています。決して人工のものだから悪いというわけではありません。

 

*野口整体を実践している方から、活元運動を続けていれば、「天心」によって、自然に食べ物の好みが変わってくる、何を食べるべきか否か、直感でわかるようになると聞いたことがあります。自分の体に良い食べ物には旺盛な食欲を感じ、良くないものには急に食欲がなくなるのだそうです。そのように、外からの情報に惑わされず、自分自身で判断できるようになりたいと思います。

 

・G・I・グルジェフ

 

 “グルジェフに会う前に読んでいた本に従って、私は「意識してゆっくりと」食べ始めた。食物転換の物理的過程や、通常では食物がその最高目的を果たしえないことや、さらに進化について考えながら、「意識して食事すること」の必要性を自分自身で確かめていた。多くの宗教に見られる食前の祈りは、「意識して食事すること」を想起させる祈りである。他の人と分け合う食物が盛られた大皿が空になるまでに、私は意識しながらゆっくりと、たった四回しかスプーンを運ばなかった。食事中、グルジェフはたいていテーブルのあいだを歩き回っていた。彼は何一つ見逃さず、このときは私の傍に立ち止まり、「そうだ、トーマ、そうだ」と言った。”

 

(トーマス・ド・ハートマン/オルガ・ド・ハートマン「グルジェフと共に」めるくまーる社)