生体内的視覚 「指先で物が見える」 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “一九六〇年代の初頭、ウラル山脈の都市ニジニタギルにはおよそ三十万の人々が住んでいた。この町にローザ・クレショヴァという何の変哲もない一人の女性がいた。ローザは洗い上げて流し台のわきに置いてあるジャガイモのように質素で飾り気のない女性であった。ヨーロッパとアジアの境目の採鉱地帯にある工業都市タギルに生活する、二十二歳のこの女性は自分だけの奇妙な夢に親しんでいたのである。実用的なプリント生地の服を着た、この小柄でずんぐりした少女は、十六歳の時以来、町の視覚障害者のための演劇グループを指導しており、そして彼女自身の家系でも、何人かは盲目であった。ローザはこれらの人たちと一緒にブレール式点字法を学び、これをすらすらと読めるようになっていた。

 ある日のこと、不思議な事に気づいて以来、一つの空想が、彼女の内で他のあらゆるものを押しのけて、高まっていったのである。自分が盲目の人々に見ることを教えよう―― 光や色や絵を見たり、点字を用いずに読むことさえ教えられるだろうと。

 一九六二年の春、ローザはなかなか信じようとしない彼女の医師、イオシフ・M・ゴールドベルグに、自分が指で見ることができると、告げたのであった。そしてそれをやって見せたのである。その医者によって念入りに目隠しされたローザは、「緑、赤、ライトブルー、オレンジ」と、色の名前をいいながら、彼女の右手の第三指と第四指を紙の上で動かした。ゴールドベルグは、新聞や雑誌、本などを信じ難い指の下に置いてみた。彼女の手は目と同じように容易に、これを読んだのである。その手は他の普通の人々の手と何ら変わっているようには見えなかいが、まるで彼女の指先にひとそろいの目をもっているようにふるまっているのであった。

 「最初は私が自分の指でプリントした字を読めると気付いたとき、私が学校の試験の最中にポケットの中のメモを読めるのだということになれば、これは得意げに人には言えないことだと考えました。」と、ローザはゴールドベルグ博士に打ち明けた。

 神経病理学者のゴールドベルグは検査に検査を重ねて確認し、最終的に彼女を一九六二年の秋、ニジニタギルの心理学者協会の地区会議へ伴って行ったのである。

 ローザは心理学者達の手で頭部をすっぽりと包み込んで目隠しをされ、それにさえぎられて何も見ることはできなかったのであるが、それにもかかわらず彼女の驚くべき指は科学者達の服の色を見分け、彼らがポケットから取り出した品物の形を認めたのであった。また彼女の手は、写真に写っている人物を「見て」、その男の姿勢や容貌を説明したのである。彼女はいかにしてこれをやってのけたのだろうか。それは練習であるとローザは語った。「この六年間ずっと私は、一日に数時間ずつ自分を訓練してきました。」”(P 342~P 343)

 

 “捨てられてかえり見られなかった古い報告書や文献の類が、突如として掘り出され、光を浴びるようになった。たとえば今世紀初頭に発行された『神経心理医学ロシアン・ジャーナル』が、ローザと類似して、手に無限視覚を有する一人の女性に関しての諸実験を掲載していたのであった。

 また一九五〇年代に、ソ連心理学者のA・N・レオンティエフ博士が一グループの男性を訓練し、彼らの手のひらに照射された(熱をフィルターで除去した)緑および赤色の光線を感知し、識別させるということをおこなっていた。

 さらに同じく一九五〇年代の末期には、超心理学者のレオニド・L・ヴァシリエフ博士が、ポロックの精神療養病院のアルコール中毒患者に無限視覚が呼び起こされ、実現したことを報告している。催眠状態に導入されたその男は、プラウダの見出しを手で読むように命じられた。そして最後には彼は見出しや小さな印刷文字を、一枚のトレーシングペーパーごしに読むことが可能となったのである。

 ローザがモスクワの大研究所に行っている間に、彼女の故郷の科学者たちはソ連流の、もし一人の人ができるならば他の人々も可能なはずである、という考え方を発揮し、手によって見ることのできる人々を見つけ出すことに取り掛かった。まず彼らは志願者達に無限視覚を開発し、次にそれが発動して作用する方式と理論をきわめようとしたのである。

 ノヴォミスキー博士は手始めとして、ニジニタギル教育研究所の、図案技能コースに在籍する八十名の学生達を対象にして研究を開始した。そして彼はすぐに約三十分間の試行の後、大体六人に一人の割合で二つの色の違いを、認知することができるということを発見したのである。自分の手で見るというのは一体どんな感じのものであろうか。”(P347~P348)

 

 “もしも読者の皆さんが自分の手に、見ることを教え込みたいと思われるならば、まず異なった二つの色、たとえば、ねばっこい赤となめらかなライト・ブルーのような、二色の間の異差を感知することから始めるのがよいとソ連科学者達はすすめている。そして、ひとたび皮膚視覚が目覚めたならば、碁石を白と黒の二つの山に分けるとか、トランプの札を赤と黒の組に仕分けることを試してみるのがよいという。もしまじめにソ連と競争しようというのならば、気晴らしに低俗雑誌の桃色記事に目を走らせるときのように、すらすらと指が(微妙な「色」をも)読むことが出来るようになるまで、それを続けて行かなければならないであろう。ノヴォミスキーの志願者のうち三人は彼らの指で絵を解読し、またガラス板の下においても数字や文字が読めるまでになったのである。”(P350)

 

 “無限視覚の新しい所有者達は、ほとんどが社会的な熱狂の熱の中から孵化してきたものではなかった。彼等は科学者達によって訓練されたのである。一九六五年、ペルムで開催された心理学会ウラル分会の科学会議において、スペルドロフスクのS・N・ドブロンラヴォフ博士は、子供達の七五パーセントまでが、皮膚視覚の潜在能力を有していると報告した。また、「七歳から十二歳の年齢にある子供達に、この能力は最も見い出しやすい。」とも述べている。”(P361)

 

 “ノヴォミスキーは、七年前全盲となった一人の冶金技師、ヴァシリ・Bを訓練させ、手で触れることにより、また離したままでも、色がわかるようにすることに成功した。銀色の紙を差し出されるとヴァシリは次のように言った。「何か白っぽい、灰色のような―― いや、これは金属の色だ、これは鉄の青色だ。」また、ピンクの紙の上をなでながら、「赤に近い色です。ピンクです。これは熟しきらないサクランボの色です。」と、ヴァシリは告げたのである。

 明かりが消されるとヴァシリは、訓練された盲目でない人と同じく、皮膚視覚が徐々に彼の手のひらから消え去り、次に指から消えて行き、そして最後には、「感覚がいわば、指先から空間へとにじみ出て行ってしまう」のを感じた。明かりがパチッとつけられた。「光だ!私には光がまたもどってくるのが感じられます!」ヴァシリはわななきながらいうのだった。彼は感動に打ち震えていた。七年ぶりに初めて彼は明かりが消え去るのと、そしてまた再度ともされるのを感ずることが出来たのである。”(P363)

(シーラ・オストランダ― / リーン・スクロウダー「ソ連・東欧の超科学」(たま出版)より)

 

*この「ソ連・東欧の超科学」という本は、四十年ほど前に「ソ連圏の四次元科学」という題で、上下二巻で出版されていたのが合本になったものです。ピラミッドパワーやUFO、超能力研究だけでなく、スターリンを驚嘆させたテレパシー能力者ウルフ・メシングや、ブルガリアの盲目の予言者ババ・バンガについてもかなり詳しく記述されており、読み物としても面白く、ご存知の方も多いと思います。また、著者の二人は、リブログ先の「ママと私は一つ」や「ペテルギウス‥‥‥」の記事が掲載されていた「スーパーメモリー」の著者でもあります。

 

*リブログ先にあるように、以前「指談」について紹介させていただきましたが、原理は同じものではないかと思います。もしこのような訓練により、視覚障害者の方々に新たな感覚が目覚め、日常の生活を送るうえで役立つものとなるのであれば、試してみる価値は大いにあると思います。

 

*また、聖僧・山崎弁栄上人も、指で本を読まれたということが伝えられています。本の背表紙を片手に持ち、まるでトランプのように、全てのページをもう一方の手の指先で撫でるように弾かれるだけで、一瞥もされることなく内容をすべて記憶してしまわれたと伝えられています。

 

・「テレパシーへの鍵」 エドガー・ケイシー

 

  “テレパシーはESPの最も一般的な形態であり、最も簡単に開発されるように見える。

 「意識的テレパシーの原則と技術を教えてください」とある人が頼んだ。

 「永遠不変なる神の存在の意識である」というのがその答えであった。「なぜなら、神はすべての力であり、すべての思想であり、すべての質問に対する回答であるからだ。神の存在の意識に同調一致すればする程、神から啓示されたことの影響を知ろうとする欲求が高まり、この結果、意識が物質的現実面に働くようになるのだ」

 「先ず人間同志の間で始める。特定の時間を決めて、その時互いに相手が何をしているかを書き留めるようにしなさい。これを二十日間行えば、あなたはテレパシーへの鍵を手に入れたことに気づくであろう」”

 

(マリー・エレン・カーター「エドガー・ケイシーの予言 アトランティスの教訓」たま出版より)