共感による幼児教育 (シュタイナー教育) | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “「そんなことでは学校に入れない」とか、「おまえみたいに馬鹿なやつはいない」とか、一昔前でしたら、「お嫁にいかれない」とか、そういう種類のことを言うたびに、子どもは心の中で漠然として持っている不安感をいっそう強く意識させられていくのです。それと同時に、もう一つ注意しなければいけないのは、よく幼稚園で間違って行われている感覚教育のことです。子どもの触覚に快感ではなく、反感を通して影響しようとする反感覚教育が、わりと多くなされています。真冬でも冷たいビニタイル張りの教室の中に、素足で子どもたちを入れておくというような場合です。子どもの心や身体をそれによって鍛えるというのですが、子どもが八時半か九時頃から午後までそのようなところにいれば、決して調和した感覚体験を持つことはできません。そういう幼稚園の基本方針は、子どもの抵抗力を幼児のうちから鍛えておけば、小学校へ入ったときに、たとえその環境が悪くても、耐えてゆけるけれども、幼児期にあまり甘やかしすぎると、環境に対する適応力のない子どもになってしまうという考え方から来ています。

 けれども本来触覚は調和したものであって、不調和な異常な状態が生じると、それを排除するように触覚が目覚めて、その部分に意識が集中します。この教育方針はそのような環境を作っているのです。子どもは朝から一日の多くの時間を無意識的には触覚を体験することができなくて、まるでいつも足の裏に目覚めた触覚を意識させられているかのように過ごさなければならないのです。もちろんそれに馴れてくれば、次第に平気で耐えられるようになるかもしれませんが、そうなるまでに、子どもの心の中に、環境に対する漠然とした不信感が出てきます。その不信感を子どもは意識化できませんから、それを無意識の中にしまっておく以外にないわけです。いわば本能的に環境というものが自分にとって決して好意的なものではない、という種類の、漠然とした、無意識的な生活感情を子どもたちが持つようになるのです。

 そこでシュタイナーは、幼児期の、少なくとも幼稚園の年長組くらいまでの子どもの感覚教育は、徹底的に共感による感覚教育でなければならないと考えています。

 反感による感覚教育、つまり鍛えるとか我慢するとかいう種類の感覚教育は、小学校に入ってからでも十分に間に合うというわけです。ところが共感に対する感覚教育は、小学校からでは間に合わないのです。なぜかといいますと、小学校に入る前までに、子どもは、大人にとって考えられないくらいに触覚を深刻に体験し、かつ生まれ落ちたときから存在への不安な感情を心の中に抱いているわけですから、この人生の最初の時期に環境が自分にとって好意的な環境であり、大人たちも自分に対して調和した触覚体験を与えようと配慮している、ということを子どもが無意識に感じていますと、環境に対する信頼感、友だちや先生や親に対する信頼感を無意識のうちに育てることができ、小学校の段階で、もしも鍛えるということが始まったとしても、それに対して積極的に関わっていこうとする意志にまでそれを発達させることができるのです。

 ところがもし零歳から六歳くらいまでの間に、無意識の不信感ができてしまったときには、鍛えようとする人が自分に悪意を持っているのではないか、という思いがさきに立ってしまうわけです。そうなったあとで共感の感覚教育をしても、それは本当に甘やかすことになってしまって、子どもは今度は親や環境全体を馬鹿にすることにもなりかねません。”

 

           (高橋巌「シュタイナー教育の方法」(角川選書)より)

 

*人は幼児期にこそ、厳しくしつけられなければならない、という考えの人は、どこの国でも昔からいたと思います。しかし、ルドルフ・シュタイナーによれば、このような教育ほど社会に害を与えるものはありません。そしてこれは幼児期のみならず、赤ん坊の育児についても当てはまることです。

 

*1946年にアメリカの小児科医ベンジャミン・スポックの書いた、「スポック博士の育児書」という有名な本があります。日本でも特に70~80年代に母親たちのバイブルとされたようですが、その内容は決して確かな根拠に基づいたものではなく、単にスポック博士の個人的な、唯物的な視点からの考えを述べたものでしかありませんでした。特に、「赤ちゃんを抱っこしすぎると抱きぐせがつくので、泣いても放置したままで良い」とか、「一人寝させることによって自立心がつく」などは、多くの人々に取り返しのつかない有害な影響を与えたと思います。母親が傍にいることがわかっているのに、いくら泣いても一切構ってもらえない、というのは、赤ん坊にとって絶望的な状況であり、精神に深刻なダメージを与えてしまいます。そして、これは単なるサイレントベビーの問題では終わらず、成長してからも、幼児期にそのような扱いを受けた人たちの精神をむしばみ続け、多くの社会問題を引き起こす原因となっているように思えます。そういえば、1980年頃から、いじめや家庭内暴力、教師への暴力、登校拒否などが深刻な問題となり、90年代には引きこもり、そして2000年代に入ってモンスターペアレントやクレーマーについて報道されるようになりましたが、過去に比べてそれらの問題の発生件数が突然増えたのは、ちょうどこのスポック博士の育児法で育てられた世代の成長と対応しているようでもあります。

 

*では幼少期にひどい扱いを受けた方々はどうしたらよいのか、ということが問題となりますが、リブログ先で紹介させていただいておりますように、母なる存在、根源的なるものとの一体化の感覚を取り戻すこと、宗教的儀式によって、地上的な感覚を通して霊的な世界を予感させることではないかと思います。

 

*あと、エドガー・ケイシーは、そのリーディングで「子どもは否定語ではなく、肯定的な言葉で教育するように、(悪いことを)するな、と言うよりも、(良いことを)しなさい、と言いなさい」、また、「子ども達にギャング映画など見せてはならない、闇の世界に関することは一切ダメだ」、「幼いころにお人形遊びをした子ども、特に女の子は、大人になったら素晴らしい家庭を築くだろう」と語っており、さらに胎教の重要性についても詳しく述べています。