満蒙の地での経綸 (理想国家「明光国」) | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “出口聖師が天授の真理たる教えと実行を以て如何に時代を指導してこられたかは、聖師の今日までの三十餘年の救世的活動を見れば明らかである。その最も好(よ)き実例は、聖師の蒙古入りである。

 大本が満蒙問題を云々するのは、満州事変によってあわてて言い出したのとは全然わけが違ふ。満蒙問題の重大なことは、政治家はずっと言ってはゐたが誰も実行した者はなかった。そこで出口聖師は、大正十三年二月、日本及び東洋の現状を座視するに忍びず、決然起(た)って満蒙の天地に大活躍を試み、かたくなに眠れる国民の頭上に警鐘を乱打されたのであった。

 聖師は蒙古入りに就き斯う語っておられる。

 『世界中仲良くして暮らす様に計る道は兼々日本を憧憬するところの蒙古人と提携してやったなら、世界経綸の端緒となるのは確実な事と思ひます。事の成功不成功は元より問ふ所ではない。自分は率先して手本を天下に示したならば、日本人の中にも奮起する人も出るであろう。そして日本人も未だ魂が腐ってゐない事を世界に示す覚悟で出たのであります。云々』

 それ以来、大本は機会ある毎に満蒙問題を提出して世間に警告して来たのである。そして出口聖師が田中内閣時代政友会を後援されたのも、別に党派的関係からではなくして、田中内閣をして満蒙政策を積極的に実行せしめむと考へられたからであった。”

 

         (「神の國」昭和7年8月号 諸田友雄『出口聖師の使命』より)

 

 

 “宣統帝問題について、王仁三郎をめぐるさわぎの生じるのは一面むりもない点がある。王仁三郎の力は大きく、大陸での大本系の勢力も絶大であるし、なにより現地人の信奉ぶりがすごかった。だからあらゆる問題に王仁三郎の影響を利用するのは得策で、この点がいろいろな動きのでる原因でもある。軍部もその例にもれずというところだ。それから、満洲に「中和国」とか「明光国」とかいう独立国建設の運動がうずまいていて、道院・紅卍字会の連中もこれにかかわりあいがあった。それでこのうずが王仁三郎のところへも流れてくるわけだし、政府や当局がこれを危険視するという段取りにもなっていく。

 当時、この問題を報道した新聞は多いが、「大阪経済新聞」や「万朝報」は、「出口王仁三郎も直接間接にこれが賛否に列せしめらるる関係にあるわけで、同氏の態度いかんが本問題を左右するものとみられ、独立計画者側からその賛同を待望されている」と、報じている。

 つぎに、王仁三郎自身のこの件に関する談話が「中外日報」(昭和7年1月1日)に掲載されているので、あげてみたい。

 「‥‥‥いま満蒙政局の表に立っている要人たちは野心家ぞろいで、ほんとうに民衆を統治してゆける器ではない。だれが出てもだめだ。‥‥‥満蒙の神民間には宣統帝を擁立して独立国を建設しようと企てている。宣統帝のたちあがるのもいまが潮時であろう。明光国の名称は事変前からしばしば要人に会ったときすすめていた。マァわたしが名づけ親とでもいおうか。ついでに述べておくが、大本の立場だ。大本は武器は持たない。破壊の役目でなく‥‥‥、大本は修理固成すなわち世界の立て直しをするのが神から授かった大使命だ。この目的のもとに昭和青年会は立直した。青年の奮起、それは二、三年ののちになるやもしれぬ」”

 

            (出口京太郎「巨人 出口王仁三郎」(講談社)より)

 

 

*出口王仁三郎聖師の入蒙は大正十三年ですが、その頃より聖師は満蒙の地に「明光国」という名の理想国家を樹立する計画を立てられ、満洲国建国後もその活動は続き、実際に現地の紅卍字会幹部(中には張海鵬氏など満洲国政府の要人もいました)に様々な指示を出しておられたことが資料(「更生日記」など)に残されています。果たして聖師は満洲国を明光国へと改造しようとしておられたのか、あるいは満洲国内に解放区のようなものとして、明光国を誕生させようとしておられたのかはわかりません。しかし、いずれにせよ、この活動は第二次大本事件、そして大日本帝国の敗戦による満洲国の崩壊によってすべてが幻に終わってしまいました。しかし、それでも満蒙での「型」は成立していたはずであり、聖師が蒙古の地で行われた「玉と剣」の仕組みが今後いつ発動するのか、これからの中国の情勢が気になるところです。

 

*かつて清王朝、大清帝国を打ち建てた満洲族について、現在彼らは、中国共産党の支配下にあり、自分たちの自治区すらも与えられていません(もっとも、共産党のもとではたとえ自治区であっても実際には自治は不可能ですが)。しかし、彼らは、大清帝国のみならず、過去に金、高句麗、渤海などを建国した強大な民族であり(高句麗や渤海を韓民族の国と主張しているのは韓国の学者だけです。あと百済の王族・貴族も満洲系であり、日本の皇室には百済王家の血も入っています)、今後、満洲族の民族意識が高まり、また中国国内のさまざまな問題が深刻化し、共産党政権が崩壊するような事態になれば、中国の東北部に新たな独立国家が誕生することになるかもしれません。これは決してあり得ない話ではないと思います。

 

    満洲は今後に於ける全世界の 鎌倉となる運命を持てり (歌集「言華」より)

 

(愛新覚羅社(山口県下関市 中山神社内))

 

 

・大本愛善苑二代苑主、出口すみ(聖師の妻)の言葉

 

 “先生の蒙古入りのことは、ずっとあとで詳しく述べますが、大へん深いお仕組みで、まだ先でないと、このことを言うても、だれにも通じないことでありまして、やがてこのお仕組みが実地にまわってくるのであります。”

 “蒙古というところは、神界からは(わけ)のあるところでありまして、大本にあることは不思議なことばっかりであります。”

 

            (出口すみこ「おさながたり」(天声社)より)

 

 

・インマヌエル・スウェーデンボルグの著作から

 

 “…イスラエルの聖言以前にアジアにあった古代聖言は、現在もなお大韃靼にいる人々のもとに保存されている。私はそこから来た霊や天使たちと霊界で語り合ったが、彼等は、或る種の聖言をもっており、しかもその聖言を古い時代から所有している、といった。また彼らは、聖なる礼拝はこの聖言に則って執り行われるが、この聖言は完全な照応から成り立っている、といった。さらに彼らは、その聖言には…「ヤシェルの書」…「主の戦いの書」「宣言」なども含まれている、と語った。…彼らは、自分たちはエホバを、或る者はみえない神として、或る者はみえる神として拝している、といった。さらに彼らは、自分たちは中国人以外の外国人を自分たちのところへ入らせない、中国人とは友好関係の維持に努めている、なぜなら中国の皇帝は自分たちの国の出身だからだ、と語った。さらに彼らによれば、彼らの地域は人口が多く、全世界のどの地域よりも人口が多いと彼らは信じている。このことは、中国人がかつて彼らの侵入を防ぐために建造した、幾百マイルにも及ぶ壁を考えれば、信憑性がきわめて高い。この聖言を中国に探してみられよ。もしかすると、それはそこの韃靼人のもとに発見できるかもしれない。(「啓示された黙示録」11)”

 

 “…私はさらに以下の事を天使たちから聞いた。つまりそれは…「創世記」の初めの数章もかの大韃靼の聖言に含まれており、その聖言をモーセが書き写した、ということである。(「真のキリスト教」279)”

 

 “…(大韃靼から来た)彼らは自分たちの住む国について語り、そこは人口が多く、また自分たちは戦争の事は何も知らない、といった。彼らは、中国とシベリアについて知っている、といった。…彼らは、自分たちは一冊の書物を所有しているが…ほかのどこの人々もこのことを知っていない、といった。彼らはこの書物を「神聖な書」とよんでいる…それは「ダビデの詩篇」であった。彼らは、他国人は彼らに確かに受け容れられるが、他国人に出国する手段は講じない、と語った。彼らは他国人に必要な食物を与え、また、誰かが働きたいと願えば、その人は仕事も得る。彼らは「十戒」も所有している。彼らは中国人を友人とよんでいる。中国人は彼らと同じ人種だからである。彼らは自国内では戦争のことを考えない。彼らはシベリアをいくらか恐れている。しかし彼らは、自分たちは何ももっていないから、シベリアが攻めてくれば、すぐさま降伏するが、それでもシベリアに気づかれぬように自分たちの所持品をもってみな逃げ出すだろう、といっている。(「霊界日記」6077)”

 

     (高橋和夫「スウェーデンボルグの宗教世界 原宗教の一万年史」(人文書院)より)