霊界物語の拝読で御神徳を授かるには | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “御光を日に夜に受くる嬉しさは 教の神書(ふみ)の賜物とぞ知る

 皇( すめ)(かみ)に祈らざりせば百千度 読むも悟らじ神の御心

 限りなき智慧の言葉を(つら)ねたる この神書(かみふみ)は世の宝なる

 神の(ふみ)(ひもと)く毎に新しく 思ふは神の恵なりけり

 

 霊界物語を拝読いたしますと、心の奥底に何かしら温かい力強いものを頂くことが出来ます。聖師様が人生の幸福も不幸も智慧証覚の如何によると申されましたが、この人生にとって一番大切な神様の智慧と証覚を授けるために、神様が聖師様の口を通して発表されたものが霊界物語でありますから、素直な心で拝読(音読)させていただきますと、魂の中に神さまの御神徳をうけることが出来ます。又、物語は霊魂の薬です。

 心の中から希望がわき出し、幸福と平和と歓喜を味わうことが出来る様になるものであります。

 病気の折などは拝読しますと御神徳が現われて、全快する事は度々体験させて頂きました。

 私の弟の入信は霊界物語を拝読しているうちに、電燈の光が二重にも三重にも見え、本の字も重なり合って見えないものが霊界物語は読めるのです。又他の本をみると読めないので、物語だけを見ているうちに、遂に御神徳を頂きまして他の本も読める様になりましたのが、入信の動機でありました。

 ただ読んで拝読していますと、心の中に嬉しさが湧いて参りまして夜はよく睡眠できる様になります。

( かむな)(がら)神の御旨を悟らむと 思へば元の赤子となれ

 たらちねの母の乳を呑む様な素直な心で音読する人達は、神様から偉大なる御神徳が頂けるのであります。

 奄美大島の信者さんが物語に示された宣伝歌を歌って通りますと、恐ろしいハブも飛びついて来ないことを日々体験されていますことを思いますと、神様より出た霊界物語の一字一字の中に偉大な神徳をかくされていることを悟らして頂くことが出来ます。

 御神徳を頂きたい方々は、大神様を奉斎して朝夕礼拝を励み毎日々々必ず霊界物語を拝読させて頂くことが最も大切なことであります。

 この神書()しなかりせば地の上に みろくの神世は来たらざるべし

 血と(あぶら)しぼるが如き思ひして 吾は霊界物語編みぬ

 みろくの世の実現は、救世主(みづ)(みたまの)大神(おほかみ)様の心血をもって編み出して頂きました霊界物語の拝読から始まると申しましても過言ではありません。

 大本の道に這入って充分御神徳を頂かれない人達は、霊界物語を毎日拝読することを怠っているからであると断言してもよいと思います。

 拝読させていただいている裡には不知不識に、神様の至仁至愛の大御心も少しづつ体得させて頂くことが出来るのであります。

 神諭に「神の心と人民の心が一つになりたら神代と申すぞよ」と示されております様に、私達が神様の至仁至愛(みろく)の大精神を悟らして頂く毎に、一歩々々弥勒の世が、私達の中に即ち地上に実現することになると教えられています。

 幸福の道は祭教慣造の実践をなし、造化のお手伝いである適宜の職業を通じて、地上天国建設に奉仕させて頂くことが大本の道であります。

 私達は霊魂に沢山の食糧を頂く唯一の道、祭教を日夜実行する様につとめさせて頂きましょう。

 苦しみの深き谷間に落ちし時 救いの綱となるは此の神書(ふみ

 

  (「愛善苑」昭和34年10月号 木庭次守『霊界物語を拝読して御神徳を授かる道』より)

 

 

*この文章は、本来大本信徒に向けてのものであるため、木庭先生は、「大神様を奉斎」させていただくよう勧めておられますが、「『霊界物語』は、大本信徒だけのものではない」という出口聖師の言葉もあり、決して大本や愛善苑に入信して大神様を奉斎しなければ、いくら霊界物語を拝読しても御神徳はない、というわけではありません。他の宗教の信徒の方であっても、あるいは特定の宗教に属しておられなくとも、信仰をもっておられるのであれば、霊界物語の拝読によって、必ずや何らかの恩寵を受けられるはずです。

 

 

 “子供でもケンカの時、軽蔑した声で「イー」とやる。わしは、言霊の活用ではないかと思っておった。そしたら聖師様は、「子供ちゅうものは、純真なもので、神さまは、よう出来ておるなあ、イーちゅうのはどういうことか知っとるか、大国」

 「知りまへん」

 「あのなあ、この指を〇〇〇〇にしてイの言霊で切ってみい、ほんとに斬れるぞ。まあ、めったに使っちゃいかんが、どうにもならない時に、一ぺん体験のために切ってみい」

 当時月宮殿の工事のとき、月宮殿をつぶすべく、霊があばれ、神がかりが多かった。夜は何組も組をつくって、警戒さしたんです。

 ところが、なんぼやっても、むこうの逃げるのが早いんです。シマッタと思って、イェーッとやったところ、パタッと倒れた。「ああ、おれも出来るわい」

 そうしたところが、死んじゃあいまいかと今度は心配になった。(笑)ただその後、その人の背中に数日間赤い印がスーと肩から腰についていましたね。聖師さまに言ったら、

 「もうやるなよ。しかし、霊界物語に書いてあることはお前、出来んように思っているけれど、みな出来るんじゃで。物語を充分読んでおったら、イザというときの力がそなわるのじゃ」

 神様は、力をやろう、やろうとしておられるのに我々はそれを拒否しとる。うんと拝読せなならんなあと思いましたね。

 「それだけの力を霊界物語を読んでおる人には与えられる。読んでない人がなんぼいうても威力はでんぞ」と言われた。”    

 

   (「愛善苑」昭和46年8月号 大国以都雄『聖師の血と肉、霊界物語』より)