「実のなる木を植えよ」二代様から托されたこと | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “これは昭和24~25年のころのことかと思います。二代さまは朝夕拝のご先達をなさっていました。わたくしは当時、大道場長という立場で毎朝五時には起きて二代さまのお見えになる前に炭火をおこし、お茶をわかして道場の若い人たちと一緒に準備をしてお待ち申し上げるのですが、ある寒い朝、いつもより少し早くお見えになり、更生車(三輪車に人を載せてペダルを踏んで走る当時の車)から降りられると、屋内に入らずに、すぐ涯ぶちの方へ行かれて、まだほの暗い東光苑の方をご覧になり、『苑内はまだ広い、その辺にイチジクの木もあるようだが、もっと実のなる木をたくさん植えなければいけない。虫がついたり、肥料をやったりするようなものでなく、放(ほ)かしておいても実のなる木(イチョウ、クルミ、クリ、イチジク、ヤマモモ、カヤなど、園芸果樹ではなく自然果樹とでもいうべきものか)を植えて欲しい。みなご神饌にならないものはない、新衛やみずほ会の人たちにもそう言うてよ』ということでございました。当時の大道場はまだバラック建てのお粗末なもので、今の婦人会館付近にあって、のち西光館と呼ばれたものでした。終戦間もなくのときで、食糧事情の悪いときでしたから修行者も参拝者もみなリュックサックを背負い、米を持参してきたころです。二代さまは当時食糧増産運動の陣頭にお立ちになって、愛善みずほ会をつくり、黒沢浄、梅村登、伊藤恒治、山中重信ら篤農家を集めて全国の農家に増産報国を呼びかけていた際でありましたかた、鑑賞樹木よりも食用樹木をご奨励になったものと思われます。綾部神苑内の桜の木を切って梅木を接ぎ木せよとおっしゃられたのもこのころでした。二代さまだって、決して美を解しないはずはございませんが、あの当時としては「花より団子」の方を、みんなのために選ばざるを得なかったのでしょう。その後私は、愛善みずほ会会長出口新衛先生にもこのことを伝え、同会の機関誌「みずほ日本」に数回にわたって、「食糧不足は木の実で解決される」という記事を書かせていただきました。私自身も食用樹や特用樹木について研究したり、植えたり致しました。ことに天恩郷の銀杏の実で数百本の苗木を仕立てて、小松別院や東京本苑、高須令三氏邸等全国各地に植えさせていただきました。「自然果樹」をたくさん植えるように、皆さんにも伝えよということが、二代さまから托されたことの一つです。”

 

        (「おほもと」昭和47年2月号 三浦一郎『托された二つのこと』より)

 

*「木を植える」というと、日本各地に木を植えた神、スサノオの子の五十猛命(いたけるのみこと/いそたけるのみこと)のことが真っ先に思い浮かびます。五十猛命が植えたのは様々な種類の樹木で、決して実のある木に限られてはいませんが、やはり木々を植えるのは神様が望まれている事であり、立派な御神業だと思います。

 

*さらに、開拓時代のアメリカの「リンゴの木を植えた男」ジョニー・アップルシード(ジョン・チャップマン)についても紹介させていただきたいと思います。最近では彼のことは絵本にもなっているようで、御存じの方も多いと思います。純朴で敬虔なキリスト教徒であったとことで知られていますが、実は彼は、インマヌエル・スウェーデンボルグの信奉者の一人であり、スウェーデンボルグの著書を手に、人々に新エルサレム教会の教えを説きながら、各地にリンゴの種を植えてまわったと伝えられています。彼がスウェーデンボルグから受けた影響については、日本スウェーデンボルグ協会(JSA)編「スウェーデンボルグを読み解く」(春風社)の中の、伊藤和子さんの「ジョニー・アップルシード――森の教えとりんごの木」で詳しく述べられています。

 

*今我々が同じことをしようと思っても、自分の土地でもないところに勝手に何かの種や苗を植えることはできませんし、下手をすると生態系の破壊になってしまいますが、庭のある家で空いているスペースがあれば、何かの果樹を、あまりスペースがなければブルーベリーとか、あるいはニラやミツバなどの宿根野菜を植えておくのもよいかもしれません。

 

*現在発売中の「季刊地域 №41 山に農地にむらに 木を植える / 追悼企画 ペシャワール会・中村哲さん」(農文協)では、個人や自治体の様々な取り組み、ノウハウが紹介されています。

 

*上の記事では、二代さまの命で、桜の木を切って梅の木を接ぎ木したとありますが、桜と梅とは同じバラ科でも種が異なるので接ぎ木はできないはずであり、これは何かの間違いではないかと思います。

 

*三浦一郎氏は、この「実のある木を植える」ということの他に、もう一つ、「ユダヤ問題について研究すること」を出口すみ子、大本愛善苑二代苑主から托されました。