「息」の謎  「神様とはこんなものだ」 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “昭和一九年一月末のころ、亀岡市中矢田の出口聖師ご仮寓の二階で、私と三木善健弁護士の二人で、大本事件の上告論旨の作成に没頭していました時、夜中の一時、二時頃だと思いますが、聖師さまが室に入って来られまして、床の間の前の机を前にして端坐され、

 

  天にかがやく月日の玉を 取ってみやうと野心をおこし 

  天教、地教の二つの山を 足の台にして背伸びをしたら 

  雲が邪魔して一寸にや見えぬ 見えぬはずだよ盲の企み

  そこでちよつくり息してみたら 雲が分かれて銀河となった 

  左手(ゆんで)に太陽わしづかみ 右手(めて)に月をばひん握り 

  顔に当てたら眼ができた 顔に当てたら眼ができた

                       (霊界物語第九巻「総説歌」)

 

と一人で口ずさんでおられます。私は前に一度拝読したことがありますが、意味が判りませんので、素読みのままでした。聖師さまが暗誦しておられますので、「抜群のご記憶力の持ち主だなあ」と思って聞いていました。

 ところが聖師さまは、私たちの顔を見ながら『神様とはこんなものだ』と仰せになられました。私は、聖師さまのご霊性は自分たちとは桁違いで、大きな、判らんことを言う人だくらいに考えて、少しも気にしませんでした。すると聖師さまは、敷島の煙草をくゆらしておられましたが、また『オイ、神様とはこんなものだ』と仰せになりました。

 それでも私は「不思議な事を言うお方だなあ」くらいにしか考えず、あの歌は霊界物語の何巻かにあったはずだ、家に帰ったら捜して読み直してみよう、何か意味が分かるかも知れないと思っていますと、聖師さまはさらに二、三分煙草をくゆらしておられましたが、私を叱るようなご口調で、『神様とはこんなものだッ』と、机をドンと叩いてそのまま立って階下に降りて行かれました。

 同じことを三度も聖師さまから言われますと、鈍感な私も「これは捨ておけぬ」という気持ちが、中心に沸き上がりました。そこで家に帰ってから、右の総説歌を捜し出して、毎日一所懸命に拝読し、意味を考えました。そしてようやく、この歌の中で一番の急所は『そこでちよつくり息してみたら 雲が分かれて銀河となった』という点にあることだけは理解できましたが、『ちよつくり息して』とはどういうことなのか、意味は全然判りませんでした。

 とにかく、この総説歌を解く「黄金の鍵」は、ここのところらしいぞという気持ちはハッキリと浮かびました。それで、考えはじめて一年目に聖師さまをお訪ねしまして「一年間努力を続けましたが理解ができませんので、教えていただけませんか」とお願いいたしました。

 聖師さまは、私の顔を見て、『アハハハ、アハハハ』と上を向いて大笑いをされましたが、私は必死ですから、ご教示をじっと待っていましたところ、ややしばらくして『まあ一休みか』と仰せになられ、そのまま黙ってしまわれました。

 この『そこでちよつくり息してみたら』という句の中の「息」と、前掲「言霊の大要」の中にある『天地の水火(いき)と人間の水火(いき)と同一なることを知りて、国家を治むる大本は己が呼吸の息にあることを知るなり』との『息』は同一の息ではないでしょうか。信徒の皆さま方とともに、ご神徳をいただいて悟らしていただきたいものです。”

 

     (「おほもと」昭和54年6月号 児島案山子『初歩言霊学覚え書(十二)』より)

 

*「言霊の大要」というのは、大正時代の大本の機関誌「神霊界」大正七年二月号に掲載された出口聖師による言霊の解説のことで、その中に、『……天地の水火(いき)と人間の水火(いき)と同一なることを知りて、国家を治むる大本は己が呼吸の息にあることを知るなり。博く天地の真理を知り、神のご経綸を究めむと欲せば、近くは己が水火(いき)を知るにあり。これぞ神国大本の教にして、すでに古事記の神代の巻と唱ふるも、火水与(かみよ)の巻といふ義なり。天地の水火(いき)を与(くみ)て万物を生じ、人間の水火を与て言(ものいふ)ことを知るべし。……』とあります。