聖霊のバプテスマの体験 (太田静湖牧師) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・聖霊のバプテスマの体験 (日本基督教団赤磐教会、太田静湖牧師)

 

 “私が始めて「聖霊に充たされた」という経験をしたのは、私が二十八才の大正九年五月十三日の午後三時でありました。水の洗礼を受ける時に、一旦、水の中に身体が没入してしまうように、私は神の御臨在の中に包まれてしまったのです。

 それより前に四十日ほど前から、私は、自分の心に愛の無いことを神から、穴に入りたい程示されて、どうしても心を満たして頂かねば、もうこのままの心の有様ではやりきれない、信者でありながら一人の友をも信仰に導くことができず、信仰の恩人だと言って、私を慕ってくれる人は一人もない。之は自分が人の霊を思いやる愛がないからだ、と思って、自分の心のうちの欠乏を感じさせられたのであります。すなわち、心の飢渇を感じたのであります。どうしても私は神様の恵みで、真剣な信仰にしていただかねばならない、こんな不徹底な軽薄な有様ではどうにもならない、と思えて、

 「こんどこそ、今までと違った切願をもって神に迫る祈りを始めよう」と決心し、自分がキリストにお目にかかったら、きっと私は本気の信仰になって、本気の祈りができるであろう、と思って、

 「イエス様よ、あなたはよみがえって活きていらっしゃるのですから、一度でよろしいからあなたにお目にかからせて下さい。そうすれば、私はあなたのために、真剣にお仕えできるにちがいない、と思います」といって、決心をしたその日から、家事の忙しい中をさいて、ひとりで神に祈りだしたのです。其の頃、私は三才と一才の子があり、倉本先生とその父君と私の夫と二人の子との炊事の世話をせねばならないので、家の用事で、昼は神様の前に端坐する時が赤ん坊の昼寝のちょっとの間しかないのだから、夜中に起きて祈ろう、と決心したのです。

 場所は野洲足尾銅山の教会の牧師館に住んでいたので、夜、みんなの寝静まった時にこっそり起きて、礼拝堂に行き、一寸光をともして、ベンチの間に坐って、聖書を開いて読み、私の心の有様を神さまにお打ち明けして、この心をなんとかして下さい、どうか、このおぼろな状態をはっきりして頂くために、「イエス様よ、あなたが私に会って下さい」としきりに祈りつづけておりました。そうして、私のわるい処、悔い改めねばならぬことは、気づかして下されば、すぐ改めますからお示しください、と私は真剣な祈りをしたのです。そうして、私のこの心の深い願いを叶えて下さるまでは祈りをやめまい、一ヶ月でも二ヶ月でも神様に粘ろう、求めつづけよう、と、かたく決心して、夜中に赤ん坊に気づかれぬように、そっと起きて会堂に行って祈りつづけたのです。其の頃は若い時ですから、毎夜かかさず起き上がることができた。祈っているうちに、「神様はきっと私の心の願いをかなえて下さるにちがいない」と固く信じられるようになったのです。かたく信じられたのが聖霊の助けでありました。

 四月の初めから、真剣な祈りを夜昼つづけていた私に神さまがこたえて下さる日が来たのです。

 五月十三日(大正九年)の午後三時でした。主は私が机に向かって、霊の糧という雑誌(之は御牧碩太郎先生主筆)のアンドリュウマーレー師の書かれた一ヶ所を読んでいた時に、主は私の前の方に立たれました(肉眼では見えない)。そして、私にお声をかけられたのです。

 「汝の立っているところは聖き地である」というお声でした。その強いお声に私はあたまのギリギリから足の先まで電気が通ったかのようなショックを受けて、主の前に土下座をしまして、おそれおののいたのです。全く、私は栄光の臨在の前に立ったのです。神様の像の映る焦点に立った、とあとから思ったのです。その御臨在は、御慈愛とおごそかに満ちたものでした。キリストを畏敬する思いで一ぱいになりました。

 その時の私の心から発したのは、

 「うべよき嗣業を得たるかな」という聖句でした。生まれて初めての霊魂の喜びを感じて、じっとしておれないものだから、部屋の真ん中に昼寝をさしてある赤ん坊のぐるりをぐるぐると踊りまわったのです。もう私が制することのできぬ霊の喜びを感じたのです。本当に私はイエス様にお目にかかれたのです。その部屋には私一人でした。若し他人がいたら発狂というでしょう。

 喜びの興奮がやっと静まってから、扉を開き、廊下の向こうの室におられる倉本老人に、「おじいさん、今イエス様が私の心に来られたんで」と告げました。

 その頃は、倉本先生と私の夫は六日前から、有馬温泉で開かれている日本伝導隊の年会に行って留守でしたが、その十三日の午後五時ごろに帰宅の通知を受け取っていたから、夕方に「通洞」の駅に迎えに行って、主イエス様が先刻私の心に来られたと告げてよろこんでもらいました。恩師御牧碩太郎先生と岡山の一坪まさのさんと山野よめさんの三人に其の時の有様をすぐ書いて知らせました。この経験は、私の聖霊の体験でありました。前からキリストが神であることは教理的には知っていましたが、聖霊を受けてはじめて、キリストが神であることを実感、直覚したのであります。

 その時から、私の霊は敏感になって来まして、神様のお声がひしひしと聞えるようになったのです。神さまが「物言うお方」となられたのです。肉の耳できくのでなく霊の耳にささやかれるのです。私は耳あるものとなって聖霊の声をきけるようになったのです。

 私の喜べるような、貴い思想が私の心の中にあらたかに起こってくるのです。「これはイエス様ではないかしら」と思っていると、「汝と物言う我はそれなり」ときこえます。私の心にひびくのは、イエス様が語っているのだな、とわかったのです。

 そしてそれ以来、聖書が私に開かれたのです(開かれるとは意味がわかること)。聖書の言が、大変強いことばとして私の心に受けとめられるようになって来たのです。

 その時から、天津ましみず(聖霊)が私の心に流れ込みだして私の心は潤って来だしたのであります。”

 

               (太田静湖「聖霊の体験」わがよろこび社より)