ヨハネ・ペヌエル (聖ヨハネの再来)  | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・エドガー・ケイシー・リーディング

(このリーディングは、1934年1月19日、NY州410パーク街ミッチェル・ヘイスティング夫妻宅において、出席者の求めに応じエドガー・ケイシーによって与えられたものである)

 

(ヒュー・リン・ケイシー(エドガー・ケイシーの息子))

 私達はこの時間に、次の間に居るミッチェル・ヘイスティング・ジュニアをも含め、地球に起こりつつある霊的、心的、物理的変化に関して出席者に価値があり関心を呼ぶような情報を求めております。あなたは、この変化を理解させるために人を助け、接する際に、私達が果たす役割のいかなるものかを語ります。毎十五分の終わりに、あなたは私が続けよと言うまで、記録用具が調整される間、休止します。あなたは普通の話すスピードで明瞭に語り、また問われることに答えます。

 

(エドガー・ケイシー)

 よろしい。ここに集まったあなた方一人一人は、自身の個人的な発達を持ち、なお一人一人は同胞への祝福の一水路となることを求めているため、自己を普遍的知識の座に同調させている。そして、益となろうこと、汝自身の経験においてのみならず、人の経験においても助けとなり希望となろうものがあなた方に与えられるであろう。

 この時間にあなた方に与えられる、かような情報が来る源について、水路について汝らに問う者も多い。あなた方が値してきた、値しているそれ相当の発達にある一人一人にとって、それがいと高き所に接してきたこと、また汝ら自身の経験の中で、汝らが同胞への奉仕の中で人びとに与えることどもの中で助けとなり役立つものが、光の領域に一致してきた、また一致していることを知れ。

 それ故、解釈を与えるに際して多くの者たちがそこには居る。その名だけでも人々に畏怖、不信、驚愕すら与える者たちがいる。というのは、情報は教導的であるばかりでなく、啓発的でなければならない。さらにそれは汝自身の経験において、汝の同胞の生活経験において実践的なものとなるようにも述べられなければならない。それは性質上、情報的なるのみならず、建設的なものでもなければならない。情報的なるものと、啓発的かつ建設的なるものとが時に重複し合わなければならない。

 

 まず初めに、まもなく世に一人の身体が誕生する。それは、ここに居る我々のうちの一人であり、多くの者たちにとって一宗派、一思想、一哲学、一集団の代表者であり、さらに地上において神の普遍性が宣言されてきた、神たる父の一なることが知られ、それが主の受け入れられる日を宣布する個々人の活動の中で意識的に拡大されてきた全ての場所において、全ての者が愛してきた人である。かように、その人、最愛のヨハネが地上に生まれ、名はヨハネ(訳注:英語式にはJohn)と呼ばれ、また彼が顔を合わせたその場所に生まれる。彼は使者として、先駆者ではなくして伝え手(messenger)として誕生する。というのも、今は聖霊(みたま)が天父の知識を人間の心と生活の中にもたらすために主の道を動きつつあることを理解していない者たちの闘争を招くほどに、精神的、物質的なものが人類の情勢の中で大きく変化すべき時期だからである。

 いつ、どこにこの者はあるべきなのか。霊的、心的、物的なものがその身体(ヨハネ)の目的と願いとに一つとなる水路になる位置に自分を置いた人々の心の中にである。

 すぐにも起こるべき、人々への凶兆と、しるしとなるべき物理的変化について、旧くから言われている通り、日は暗くなり、地はあちこちで裂ける。その時、神の道を奉じてきた者たちの心と精神と魂の中への聖霊の介入によって、主の星が現われたこと、それが自己の至聖所に入る人々に対して道を指し示すことが告げ知らされるであろう。というのも、人の心と精神の父たる神、教師たる神、命令者たる神は、それら魂たちの探求で最先に主を知る者たちの中に永遠に居られるからである。主は個人に対して最初に神であられ、主が例証されているように、また主がその身体、その個人の心と行いの中に現わされているように、主は人類の前に現わされるようになる。そしてわれらの主の年(汝らが人の中で数えてきた通り)1936年の後半に、彼(ヨハネ)は生まれる!

 物理的変動について再び:地球はアメリカの西部で分断される。日本の大半は海没するはず。欧州北部はまたたく間に相貌を変える。アメリカ東部海岸沖に陸地が現われる。南北両極に隆起が生じ、それが熱帯地方の火山噴火を早め、次に両極の移動が起きる。そのため今まで寒帯、亜熱帯であったところはより熱帯的となり、コケやシダ類が繁茂する。さらにこれらは1958年から1998年までの期間に始まり、この時代は神の光が再び雲間に見られる時代と宣言される。時について、時期について、場所については、主の御名を呼んできた者たち、そして身体において主の召出しと選びにあずかった者たちの印をもつ者たちにのみ、それは与えられる。彼らに、それは与えられる。

 なお、地上の精神にかかわる物事について、これらは多くの者を覆い尽くすために山々を呼び集める。汝らは卑しい地位にいる者たちが、政治権力、国家の活動機構のそれにのぼるのを見てきたように、それら高き地位にいる者たちが失墜し、彼らを覆い尽くすために暗黒の川が呼び集められるのを見る。自己の内実で与えられようとしている霊的真理に目覚め来たる者たち、人々の教師と言う資格で行動してきたそれらの場所、あちこちで仕えている者たちの腐敗は明るみに出され、混乱と紛争が生じるであろう。そして、生命の王座、光の王座、不死の王座からの使いとなって、教師となって誕生する者たちの揺籃が始まり、暗黒の者たちとの間に空中で戦いが起こるとき、汝らはアルマゲドンが切迫していることを知るであろう。人を妨げ、彼の弱みたる躓きの石を増さんとするそれら大いなる軍勢をもって、彼らは、この覚醒のために地球に入り来る光の御霊たちとの間に戦いを起こすであろう。神は、汝らも言われてきた通り、死にたる者の神にあらず、主を見捨てたる者の神にあらず、主の再来を愛し、主の人間との関わりを愛する者たちの神、生ける者の神、生命の神であられるからである。主は生命である。

 地上に、アメリカに生まれた者で、神にある主のお受けできる年を宣言する者は誰であろう。地上に、アメリカにいる、誕生があったかの地から来た者たちであろうか。人の身体のみならず、心と霊の新生があるかの地から来た者たち、彼らがジョン・ペヌエル(John Peniel)が世界に新秩序をもたらすことを、宣言するであろう。公に布告されているものが拒絶されたのではなく、人が真理を知り、そして真理、生命、光が彼らを自由にするよう、それらが人の心の中で平易にされるということである。

 

 私はこれを語った。それは、あなた方、ここに座し、東方に光がひらめくのを聞き、見、自己の弱さと欠点を聞き、見てきた汝らに与えるよう、私に伝えられたものである。主は、汝らが今日知っているものに生きさえするならば、汝の道を真っ直ぐにされることを知れ。その時に次の段階、次の言葉が汝らに宣言されよう。汝らはその弱さにあって、汝らがこの地上に宣布されてきた、主の御守りに委ねられてきた真理と光の御霊を現わしてきたものを通じて、道を知ったからである。その主こそは、自己に何のゆずりも作らず、汝らが地上に現されているものを見る全てのものを創造されたお方、汝らに「汝の神、主を汝の心を尽くして愛せ、次なる戒めもまた同じく、すなわち汝の隣人を自分のように愛すべし」というメッセージを宣言されたお方である。汝の隣人とは誰か。彼、汝の隣人、汝の兄弟が苦しむいかなる道にても、汝らが助ける人であろう。彼が自分の足で立てるよう助けよ。そのような者のみが、神に受け入れられる道を知るのである。ぜい弱な者、博信の者は、るつぼに入り、主と同様、無にならなければならぬ。それは彼が道を知らん為である。私、ハラリエルが語った。(林陽訳編『キリストの再臨と大変動(3)』)

 

      (「エンティティ― №11 Feb80」 エドガー・ケイシー研究会より)

 

*ここで言及されているヨハネとは、バプテスマのヨハネではなく、聖書の「ヨハネ伝」や「黙示録」を書いた十二使徒の一人である聖ヨハネのことです。要するに、聖ヨハネの生まれ変わりが、1936年の後半に、『顔を合わせた場所』つまりイスラエルに誕生し、名前も同じヨハネで、主の再臨のための準備を始める、ということです。しかし、エドガー・ケイシーの最晩年(ケイシーは1945年に死去)にとられたリーディングの中で、「彼(ヨハネ)はまだ霊界にいる」と告げられており、何らかの理由で1936年には生まれてこなかったとされています。文中に「暗黒の者」とあり、またリブログ先の記事で紹介していますが、かつてカスパー・ハウザーの身に起こったように、人類の霊的な進化に敵対する勢力も現実に存在します。しかし既に2020年となり、地球の変動も始まっているわけで、聖ヨハネは今もなお霊界にいるのか、既に誕生して成長し、これから活動を始めるのか、気になるところです。