神素戔嗚大神、木の花姫、木花咲耶姫、菊理姫 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・神素戔嗚大神、木の花姫、木花咲耶姫、菊理姫、そして観世音菩薩

 

 “木花咲耶姫命の御使命が〈世に出ている神さんと、世に落ちている神さんとの和合をさせるお役目である〉ということは、前掲(註:開祖による弥仙山の岩戸ごもりのこと)、開祖様が岩戸開きからお帰りになって出されたお筆先によって明らかである”

 

 “聖師様は、そもそも小幡神社の産土神と木の花咲耶姫命のお約束によって、氏子として生まれられ、木の花咲耶姫命の天使、松岡芙蓉仙人の導きによって、初めて霊界修行をされたのであって、まず富士山の上空を飛行して修行に入られ、岩窟内における示教もすべて姫神の神示であった。

 艮の金神(うしとらのこんじん)も、いったん沓島から弥仙山に鎮まられ、弥仙山から綾部の聖地に奉迎されており、世に落ちておられた神々が、世に出られるについては、すべて木の花咲耶姫命のご活動があったことを知らねばならぬ。

 霊界物語には、全巻を通じて、いたるところ木の花姫の命のご活動が述べられておることは周知の通りである。その御使命について、第六巻「富士鳴戸」に左のように示されている。

 

 富士の神霊たりし木の花姫は、神、顕、幽の三界に出没して、三十三相に身を現じ、貴賤貧富、老若男女、禽獣虫魚とも変化し、三界の衆生を救済し、天国を地上に建設するため、天地人和合の神と現われたまい、智仁勇の三徳を兼備し、国祖国常立の命の再出現を待たせたまいける。

 

 木の花姫のことを、仏者は称して観世音菩薩という。(註― 木花咲耶姫命は、木の花姫命のご分霊である)”

 

    (「おほもと」昭和38年5月号 大石栄『弥仙山岩戸開きについて』より)

 

 

 “木の花姫とは、大宇宙の主宰神にまします大国常立大神、高皇産霊神、神皇産霊神の以上の造化三神の至仁至愛の大神が、霊力体、神・現・幽三界を救うために活動されるご状態を三つの御霊、瑞の御霊といい、言霊学上は豊国主の神、神素戔嗚大神とたたえまつるのであります。従って、造化三神、そのご顕現にます天の御三体の大神が天降り給うときは、神素戔嗚大神と申し上げるのであります。大神を三千世界の救世主とたたえまつるのは以上の理由によるのであります。ミロクの大神とも称えます。

 三界の救世主神素戔嗚大神が、富士山の天教山に紫微天界より天降り給うて神徳を発揮したまうときは、木の花姫神と奉称するのであります。”

 

 “天の時節到来して、大本開祖に地上神界の主権神にまします国祖国常立尊帰神されて大本の出現となったのであります。「ここにおいて天津神の嫡流におかせられては木花咲耶姫命と彦火々出見命は事態容易ならずと見たまひ国常立尊の神業を御手伝ひ遊ばすこととなり、正神界の御経綸は着々その歩を進め給ひつつあるのである。(大正十年十月二十日)」と示されてあります。((1)十八)

 大本の神業は申すまでもなく、国祖国常立尊の神業で、これは未来永劫にわたり変わりはありません。その国祖の神務は、大本開祖が、現界霊界を一貫して、永遠につづけられておることは申すまでもありません。この神業を補佐するために天の三体の大神の化身として天降り給うた瑞霊真如聖師の活動は、神界、現界、幽界ともに寸時もとどまることのない、天地一体の神業です。

 日本神典では、木花咲耶姫命は、国津神大山津見命の娘となっておりますのに、天津神の嫡流と示されておりますのは不思議に思われます。霊界物語第一巻第三一章九山八海に「中天において五色の雲をおこし、雲の戸開いて威厳高く美しき天人無数に現はれたまひ、その天人は山上に立てる大八洲彦命の前に降り真澄の玉を与へられた。その天人の頭目(かしら)は木花姫命であった」と述べられていますように、霊界物語の立場からは、富士山に天極紫微宮より天降りし木の花姫命はもとより天津神である。開祖の神筆に「天照皇大神宮殿の子が木花咲耶姫命であるぞよ」とありますように、神界より見給うときは、天照大神の御子にあたる神様です。伝承と大本の相違するのは、大本はすべて神界の啓示にもとづくためであります。”

 

 “富士山より木花姫の神教を仰いで天降りし日の出別神の教の子・照国別は、照公、梅公の問いに答えて、仏典の用語を借りて厳かに三千世界の救世主五六七(みろく)神の至仁至愛の真相を説きさとした。

 照公が「今の歌は五六七(みろく)大神様のご真相じゃなくて、木の花の神様のようですなあ」とたずねると、

 照国別は「木の花姫の神様も、やはり五六七大神様の一部または全部のご活動を遊ばすのだよ。また天照大御神と顕現遊ばすこともあり、棚機(たなばた)姫と現れたり、あるいは木の花咲耶姫と現れたり、観自在天となったり、観世音菩薩となったり、あるいは蚊取別、蚊々虎、カール、丹州などと現れ給うこともあり、素戔嗚尊となることもあり、神様は申すに及ばず、人間にも獣にも虫族にも、草木にも変現して、万有を済度し給うのが五六七大神様のご真相だ。要するに五六七大神は大和魂の根源神ともいうべき神様だ」と教示している。木の花姫神は主神の貴の御子にして最高の天使にましますが、大宇宙の創造主であり大救世主神の五六七大神様の一部のご活動を遊ばすだけでなく、時によりては、大神の全部のご活動を遊ばすのである。

 大洪水のときに、国祖国常立尊がご隠退中のために、野立彦命と変名して富士山に出現された際に、国祖の名代として、木の花姫命が天使天人を招集して、国祖の大神の預言警告と救世の神示を伝達し、神示の方舟の建造を命じて、天使たちを宣伝使に任じ、天眼鏡と被面布の神徳を給うたのは、五六七大神の全部のご活動の好適例である。

 神素戔嗚大神が姉の天照大神とウケヒし給ふたときに、剣より生まれし、三女神、その肉体はパナマの国の春山彦、夏姫の娘の橘姫は「木の花姫の神の厳(いづ)の御霊の分け霊」と述べられたように、神素戔嗚大神の御子の三女神が木の花姫の神の分霊であるとのことは神格の上からは、神素戔嗚大神が富士山に降り給うた時が木の花姫と奉称するのであるから必然のことである。

 聖師が仏典の解説で、五音は観音即木の花姫神一名伊都能売(いづのめ)神として妙音は市杵嶋姫命、観世音は木花咲耶姫命。梵音は多紀理姫命。海潮音は玉依姫命。勝波世間音は多紀津姫命とし、以上を瑞(みづ)の御霊と示されたことは、むべなるかなということができる。((40)六・(5)一七・一八・二五(12)一七)

 因みに「富士文庫」には木花咲耶姫命は諱(いみな)は菊理祖姫尊(きくりひめのみこと)とある。(昭和五三年一月一九日稿)“

 

    (木庭次守編「霊界物語の啓示の世界」日本タニハ文化研究所より)

*カッコ内の数字は「霊界物語」の出所で、((巻)章)となります。また、出口聖師は、『木の花』とは、梅の花であると示されています(「木の花とは梅の花の意なり。梅の花は花の兄と云ひ、兄をこのかみと云ふ。現代人は木の花と云へば、桜の花と思ひゐるなり。……」(「霊界物語」第六巻第二四章『富士鳴戸』))。(「桜の花をかざして現われ給うた木の花姫は仮のみ姿」(出口和明「実録出口王仁三郎伝 大地の母」あいぜん出版))

 

(映画「出口王仁三郎一代記」より、洋服姿の松岡仙人にともなわれ、天教山の木の花姫と会う場面)