ひなぶり調 (日本古来の和歌のリズム) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “古代の人々が焚火を囲んで酒を酌み交わし、夜もすがら健康な団らんに興じあっている時、だれの口からともなく、美しい言葉や実感のこもった感動的な文句が飛び出し、皆の気持ちがその言葉や文句にピッタリと合致した時、人びとは、手をたたいてその言葉を唱和し、何度もそれを繰り返して、素朴な思いをそれに託してうたい上げたことでありましょう。その言葉が次第に伝えられ、徐々に型づくられているうちに、今日の和歌のもっとも古い型と成るにいたったのではなかろうかと思うのです。

 これによっても、和歌は実に、ひねり作るものではなく、うたい上げていくという自然感情の発露であり、自己の心に映じ、わき起こってきた実感を、もっとも端的直線的にいい現わした姿が、三十一文字の型式の中に、うそや偽りのない真実のものとして、表現されたものであると思うのです。

 さきにいったように、宗教的な感情から発した祈願や呪文の言葉などが、それはそれなりの発展をとげて、祝詞(のりと)や神文(しんもん)になっていったように、和歌も千年、二千年のながい年代を経て今日にいたり、いまもなお和歌発生当時の、大和民族の健全な精神を脈々と伝えているのであります。

 その一つの裏づけとも申せましょうが、先日ご来宅くださいました、古代文学の大家保田与重郎先生が、大本の歌まつりのときに献詠歌を朗ずる「ひなぶり調」をお聞きくださいまして、―― 歌を謡い上げていくときに、自然に発生したリズムや調子、節回しとして残っている日本でもっとも古いものであろう。しかもそれは丹波地方のどこかに伝承されていると聞いていたが―― とおっしゃっておられました。

 日本古来の、しかも和歌発生当初から伝わってきた正しいリズムが、和歌を自然にうたい上げてゆくために、つねに和歌と表裏一体の関係をなしている調子が、名もひなびた丹波の真中に「ひなぶり調」として、しかも父(出口王仁三郎)を通して、ここの中に残ってまいりましたということは、実に面白く感じます。和歌発生の古来の精神に返って、大和民族のおおらかなる姿をうつすべく、父は「歌祭り」を再興しました。

 そうして、こういった素朴純粋な気持ちとともに、人と人、国と国の障壁や八重垣を取り除くため、大きな人類愛の立場からも、神人和楽の宴として、また天地の真釣り合わせの姿として、芸術と宗教の渾然一致した祭典が、これからも行われてまいりますことは、たとえがたい喜びとして、私の胸に迫って来るのです。(昭和三十五年五月)”

 

       (「おほもと」昭和53年10月号 出口直日『和歌について(二)』より)