“大正十年事件が起こり、未決に入られた聖師は、そこを出所されると、経典中最大なものである「霊界物語」の口述を開始されたのである。この物語の序文において、
「……従前の宗教は政治的であり専制的なりしに引きかえ、現今は芸術的であり民衆的となって来たのも、天運循環の神律によって仁慈(みろく)出現の前程といって良いのである。わが霊界物語もまた極めて民衆的に且つ芸術的にかんながらの時機を得て大神より直接間接の方法をもって、現代ならびに末代の人生に対し、深遠なる神理を宣示し、且つこれを伝達せしめ給うたのであります」
また、霊界物語第五十四巻には、
「霊界物語は古き神代の物語といいながら、時代に先んじた文語や文学形式を採用しているのは不都合だと言っている人があるが、それでは表現の範囲を拡めることはできない。予言的精神に充たされた霊界物語はあらゆる形式美を盡して、朝日に輝く雲のように、虹色を呈して虚空にかかっているほどの覚悟をもって進んでいるのである……」
と神示の宇宙観、神々の活動、真実な人の世のあり方を説くにも、あらゆる形式美をつくした芸術表現をもってなされているのである。このことは三角塔の三つの面が真と善と美であり、三つの面の頂点が神であることより思考すれば、神示の伝達たる宗教的経典も、表裏一体の理により、その表現が、芸術によること、また当然のことでなければならぬ。”
(「神の國」昭和27年2月号 出口虎雄『孤高の寂寥』より)
“……瑞月が霊界物語を口述したのも、真の芸術と宗教とを一致せしめ、以て両者共に完全なる生命を与へて、以て天下の同胞をして、真の天国に永久に楽しく遊ばしめんとするの微意より出たものである。そして宗教と芸術とは、双方一致すべき運命の途にあることを覚り、本書を出版するに至ったのである。”
(「霊界物語 第六十五巻 山河草木 辰の巻」『総説』より)