節分大祭の「大祓行事」について | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・「大祓い」とは

 

 “大祓は国家の権威なり。

 国体の本源愈々崇高なれば、大祓の意義は益々至厳なるべきなり。

 古(いにしへ)は、大嘗祭の行はるるに際して、九月より三ケ月間を以て散斎(あらいみ)とせられ、猶散斎の期に先だちて、天皇躬(みづか)ら河上に行幸ありて御禊を修し給へる例なりき。

 御曾岐(みそぎ)又豊御禊(とよのみそぎ)とも河原大祓(かはらおおはらひ)とも名づけ、行幸の場所は古来一定せざりしかども、仁明天皇の御代以来は、賀茂川に行はせらるるを例とせり。又祭事に関る諸職員も、昔は荒見河の祓とて(後世は専ら紙屋河に行ふ)潔斎の式を行ふべき定めなりき。

 大嘗祭は国家至重の祭事なり。潔斎の厳なるべきこと、洵(まこと)に当然なるは謂ふまでも無き事ながら、其の潔斎の本源に遡りて、至厳なるべき所以を深く拝察する時は、其の深奥の意義の頗る至重なるものあるに、敬虔の情いやが上に崇高を禁じ得ざるものあり。

 潔斎とは身を潔くし、心を斎(きよ)くして、明き清き真心もて、神に司へ乃至己が職分を行ふべきの意義たること、今更爰に謂ふまでもなし。されど大日本国に於ける大祓の意義は、決して普通に解せらるるが如き浅薄なるものに非ずして、大祓潔斎の本義は実に実に至大の奥義を含めり。古来の学者は大祓を解する者なく、和光同塵の二千載には斯土に大祓の本義を見ること皆無なりとは雖も、専ら日本古典の真研究に基き、大祓の本義を解する時は、未だ嘗て何人も夢想せざりし幽玄の大事の含蓄さるるに喫驚せざるものなからむとす。

 大祓には三種あり。大潔斎、中潔斎、小潔斎、これなり。一身を清め一家を清むるは小潔斎なり。国土を潔斎するは中潔斎なり。天地の妖気を払ひ乾坤を清むるは大潔斎なり。

 一言に大祓と謂ふ時は、大中小三種の大祓を兼ね称して、之を大祓といふなり。現代の人々の解釈する所の潔斎大祓は小潔斎に止まれり。よしや国土の潔斎に及ぶものあるも、其の根本意義は到底明かに之を知るものに非ず。三種大祓(みくさのおおはらひ)の真義は、一朝一夕に誌上に於て陳べ難し。今聊(いささか)一端を披瀝して忠誠の士に研究の必要なる所以を警告せむと欲するに止む。

 人心腐敗其極に達して疾病と罪悪とは国内に旺溢充満し、個人の潔斎すら猶頗る至難の今日に於ては、中大潔斎の行はれむこと殆んど之を望むべくもあらず。されど個人は個人として世に生活するに非ずして、国家の一員として社会の共同生活を営むものなるが故に、一身の潔斎を施さむには、国土の潔斎に待つべきものの多きこと、識者を俟(ま)って知るべきにあらず。切言すれば個人の潔斎は、国家の潔斎にして行はれざれば、到底根本的に行はるべきものに非ざるべきなり。腐敗の空気中に生存しながら、健全なる生活を為さむは不可能事なるべきなり。故に小潔斎は先づ之を中潔斎に待ち、中潔斎は更に個人の潔斎を促して、国土人心爰(ここ)に創(はじ)めて清かるべきなり。(以下略)”

 

      (「出口王仁三郎全集 第二巻」『第三章 大祓の権威』より)

 

・神言(かみごと)の奏上

 

記者 節分大祭の圧巻は、大祓行事の中心として、教主の先達に唱和して以下祭員、参拝者一同が夜の十時より数十回にわたり明け方近くまで続けます神言(大祓祝詞)の奏上にあると思うのでありますが、その意義についてお聞かせください。

 

木庭 「神言」奏上の言霊に、神々が皆に神がかり、のりうつり給いて天地宇宙、国家社会、一身一家大修祓の神力が発現されるのです。あの神言奏上の威力によって、「罪という罪はあらじ」「残る罪はあらじ」と神祓いに祓い給うのであります。聖言に「言霊は神なり」と示されていますのは、まさにこのようなことを申されているのです。

 

記者 大本節分祭には「神言」奏上の前に祭主が、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたり)と数を唱えられ、アオウエイと七十五声の言霊発声や、神舞がありますが、これについてもご説明していただけませんか。

 

米川 それは、聖師著「霊界物語」天祥地瑞(子の巻)第七章に次のような御示しがあるところを参照していただきたい。

 

 『……総て宇宙一切のものには霊的にも、体的にも表裏あり、善悪美醜混じ交はりて、而して後に確乎不動の霊物は創造さるるものなり。神は至善至美至愛にましませども、年処を経るに従つて醜悪分子の湧出するは、恰も清水の長く一所に留まれば、次第に混濁して腐敗し、昆虫を発生するが如し。

 天之道立の神は、主の神の至善、至美、至愛の霊性を摂受し給ひて、紫天界を円満清朗に且つ幸福に諸神を安住せしめむと、昼夜守りの四神をして神事を取り行ひ給へど、惟神(かむながら)自然の真理は如何ともするに由なく、さしもの紫天界にも、彼方、此方の隅々に妖邪の気発生し、やうやく紫天界は擾乱の国土と化せむとせり。茲に天之道立の神は、此の形勢を深く憂慮し給ひて、天極紫微宮に朝夕を詣で、天の数歌を奏上し、かつ三十一文字をもつて、妖邪の気を剿滅(さうめつ)せむと図り給ふぞ畏けれ。

 

〈掛巻も綾に畏きむらむらさきの、極微点(こごこ)輝き、美しき宮居にます主の大神の大御前に斎司、天之道立の神、謹み敬ひ畏み畏み願(ね)ぎまつる。抑この紫微圏界は、主の大神とます天之峯火夫の神、宇迦須美の神、天津日鉾の神三柱の広き深き雄々しき御稜威により、一二三の力もてうまらに委曲(つばら)に造り固め給ひけるを、日を重ね、月を閲し、年を経るままに御世はややややに濁り曇らひ、いとも美しく、厳かなるべき紫天界の至るところに心汚き神々の現れ来りて、主の大神の大御心に背きまつり、神国を乱しまつる事のいとも畏く、いみじくあれば、夜の守り、日の守りと四柱の神を四方にくまりて教へ諭し守りまつれど、あまりに広き国にしあれば、如何で全きを望み得む。さはあれ吾等は神の大宮に仕へまつる身にしあれば、天津誠の大道をうまらに委曲に説き明し、もろもろの荒ぶる神達を言向け合はし、大御神の御稜威をかかぶりて紫天界は神の造らしし昔にかへり、曇りなく濁りなく、曲(まが)の気だに止めじと、祈る誠を聞し召し、吾に力を与へ給へ。惟神神の大前に一二三四五六七八九十百千万(ももちよろず)布留辺由良、布留辺由良由良と幣(ぬさ)打ち振り、比礼打ち靡け、大御神楽を奏でつつ、左手に御鈴を打ちふり、右手に幣ふりかざし、七十五声の言霊をに委曲に宣りまつる。此有様を平けく安らけく聞し召し相諾ひ給へと、畏み畏みも願ぎまつる〉

 

 かく太祝詞を宣り給へば、紫微宮の紫金の扉はキーキー、ギーギーと御音清しく左右にあけ放たれ、茲にキの言霊は鳴り出で、次にギの言霊鳴り出でましぬ。是より四方の曲津を斬り払ひ、清め澄まし、天清く、神清く、道亦清く、百神の濁れる心は清まりて紫微天界は次第々々に妖邪の気消え失せにける。さりながら大前に神嘉言(かむよごと)一日だも怠る時は再び妖邪の気湧き出でて世を曇らせ、諸神は荒び乱るるに至るこそ是非なけれ。

 茲に天之道立の神は、朝夕のわかちなく、神を祭り、言霊を宣り、妖邪の気を払はむとして払ひ、言葉の功のいやちこなることを悟り、初めて太祓ひの道を開き給ひしこそ畏けれ』

 

 (「おほもと」昭和32年12月号 木庭次守、米川清吉『大本の節分祭 大祓の権威』より)