キリスト教と日本文化 〔聖クレメンス〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・キリスト教と日本文化

 “幼児洗礼を授けてもらった私は、とくにこれといった問題もなく大学時代を迎えることとなった。大学二年の私は、以前から関心のあった「日本文化とは何か」、「日本人の思惟方法とは」というテーマが、いくらか客観的にわかってくるようになると、「日本文化ないし日本人の思惟方法とキリスト教」という問題で悩み始めた。
 今日に至るまで、一般に日本文化に対してキリスト教が真に対決したことはないと思う。当時の私は、日本文化を受け入れるとキリスト教的には生きていけない、また逆に、キリストに倣った行動をとれば日本文化とことごとくぶつからざるを得ないので、テルトリアヌスやタティアノスのように、「日本文化をまったく無視すべきではないか」などと真剣に考えるようになった。
 ところで私は他方において、信仰が潜在的に植え付けられている点についてははっきりと自覚していた。そして、自分の信仰が、自分の学問に、さらに大きく言えば、日本の社会に役立つものであるのかどうか、いろいろ思いめぐらしていた。手当たり次第に本を読んでみたし、その道の第一線の人にも手紙を書いていろいろ教えを受けた。またアレクサンドリアのクレメンスのように、師を求めて諸外国を飛び回るわけにはいかなかったが、国内では、日本人・外国人を問わず、自分の師を求めてあちこち訪ね回った。
 そして、蒸し暑い夏の夕方、私は東京の三畳の間借り部屋で、「これだ!」というものを体験したのである。後でわかったことであるが、クレメンスの回心告白と一致していた。「〈みことば〉は人となって、わたしたちのうちに宿った」ことによって、絶対者はわれわれ一人一人すべてと、また個々のすべての文化と、すでに一致しておられるのである。
 日本文化にも、すでにロゴスの種子が蒔かれているのだ。そのことはクレメンスも語っているように、ギリシャ人にはギリシャ人的に、シナ人にはシナ人的に、そして日本人には日本人的にすでに知られているのだ。さらに、巡礼の旅の体験を通してクレメンスも述べていることではあるが、信仰が主体的に文化と関わることによってこそ、信仰が自己の意味内容を認識するものだと見なしたのである。”(久山宗彦:法政大学教授(比較宗教学))

        (久山宗彦「ナイル河畔の聖家族」フットワーク出版より)

 

 

・アレクサンドリアのクレメンス(初期キリスト教会の教父、2~3世紀)

 

 “キリスト教以外のものにも真理はある。すべての善と美は神のものだ”

     (小高毅「父の肖像 古代教会の信仰の証し人」(ドン・ボスコ社より)

 

 

 “神のロゴスの現れが歴史のうちにおいて旧約聖書の外に、またヘブライの預言者、ギリシャの哲学のほかに、また、その他の国々においても現れているということを立証するために左のように語っている。

 

「哲学は偉大な有用なことがらとして、昔から異邦人のもとで栄え、異教徒を照らし、ついに、ギリシャ人のもとに達した。

 その最初の創始者は、エジプト人の預言者達とアッシリアのカルデア人たちと、ドロイダイ(古代ケルト人の僧)と、ガラテア人のもとにおけるサマナイオイとバクトリア人とケルト人の哲人たちと、ペルシャ人の呪術師たち、その人々は救世主降誕の前兆を星の光にみちびかれてユダヤの国に達したのである。また、インド人の裸の行者と他の異邦人なる哲学者である。

 これらは二種類である。かれらのうちのある人々はサルマナス(沙門)たちであり、他の人々はブラクマナス(婆羅門)といわれる人々である。

 サルマナスのうちで「森にすむ人々」とよばれる人々は町に住まず、家もなく、質素に樹葉をまとい、樫の実を食い、手で水を汲んで飲む。現在のエンクラティタイ(初期のキリスト教の禁欲修行者)といわれる人々のように婚姻することもなく、子を産むこともない。またインド人の中にはブッダの教示を尊奉する人々がいる。彼らは、仏陀の神聖性の優越のゆえに、あたかも神を崇拝するかのように仏陀を崇拝した。」

 

 この記述は、西洋宗教思想史の上で、はじめてブッダに言及したものである。彼の思想体系によれば、救済はユダヤ人とギリシャ人とを問はず、あらゆる異教徒、全人類を通して実現されるものであって、その歴史の過程の中にインド思想も仏教もバラモン宗も含められてしまっている。

 

 このように、クレメンスのキリスト教の理解の仕方は、あまりにも折衷的であり、異教思想の要素を多く採用しすぎたという非難が後世に起こったのであるが、しかし寛容にして包容的である彼の考えの基底には一つの確固たる立場の自覚があった。

 それはあらゆる宗教や哲学や思想の歴史過程をつらぬくところの神の普遍的な理法を確信していたことである。永遠の歴史の渚にたって観ずれば神の理法が歴史をつらぬき、歴史を支配し、そして歴史を超越し給うことを把握したのである。

 このような全歴史と人類を包括する思想は、ユダヤの思惟の中からは生まれてこない。ユダヤ思想の選民意識の枠の中での歴史観が成立したであろうが、普遍的な理法という思惟の仕方においてではない。

 クレメンスのこのような自覚はインド的、仏教的な思惟の影響が彼の歴史観や、その思想体系の中核に色濃く染めていたと考えられるのである。”

 

       (栗原貞一「アレクサンドリアのクレメンス研究」奇峰社より)