マツリの真義 (神人感応の連鎖) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・マツリの真義 (神人感応の連鎖)

 

 “……西行法師が伊勢神宮に詣でて、「何事のおはしますかは知らねども忝けなさに涙こぼるる」と詠じましたが、我国民の君父に対する至情は道理や理屈の上から割り出して忠孝を尽くすのではない。其の大本性が先天的に克く忠にして克く孝なのでありまして、何事の有無を問はないのであります。故に我神国たる日の本の国には古来外国のやうな複雑な政治学も法律学もなく、宗教道徳などの言葉も無かったのであります。彼の万葉集の十三に「蜻嶋倭之國者神柄跡言學不為國云々(あきつしまやまとのくににはかんながらことあげせぬくにうんぬん)」などありまして、後世の如き喧しい言議言論説は無かったのであります。然しながら其の実際に至っては政治も法律も宗教も道徳も至極完備していたのであります。

 今一々各方面に渉って述べる暇はありませんが、要するに我神国は敬神の思想によりて結合されているのであります。即ち神は我等の祖先であり、宇宙の創造者摂理者であり、又君は神の直系即ち吾等の本家であらせらるるといふ観念が、純忠にして至孝なる国民の本性と相結合して成り上がってをるのであります。故に政治は即ち祭事でありまして国語では政治も祭事も共にマツリゴトと訓みます。義は奉事(まつりごと)で物にもせよ心にもせよ此方より彼方へ致す義であります。故に祭礼は人が敬虔思慕教願の情を致し冥々の裡に於ける神の感応を求むるのであります。尚此の言を廣く考へますと臣(たみ)が君を思い子が親を慕ひ婦(つま)が夫を恋ひ弟が兄を憶ふなど皆その至情を致す時は矢張りマツリであります。此れに因って又君親父兄が愛撫の情を垂れるのは所謂感応であります。此の感応に因って更に又敬虔思慕の情を致すに因って更にまた感応を垂れると言ふ風に、マツリの真義が神人の間に始まって万事万端に及ぼし行く時は、家に風波が起こったり国に騒乱が起こる様なはずがないのであります。”

 

         (「このみち」大正5年4月21日号 『皇国の敬神思想』より)

 

 

・愛する人の中に神を見る   〔ラーマ・クリシュナ〕

 “彼(ラーマ・クリシュナ)はすべての人に、自己を解放し、内部の泉を飲み、各人の中にあり、また神であるところの普遍存在の歓喜に、・・・自己の本性に叛くことなしに、それを不具にしたり、あるいは「曲げ」たり、またとりわけ自分を頼りにする人を誰も少しでも傷つけることなしに・・・、参加する手段を与えるのである。正当な愛情を禁止しないばかりか、彼らを悟りに導くために、彼はそれを用いるのである。それは清浄な単純な人々を神の許に連れて行く美しい影を映した平和な運河である。そうしたじつにうるわしい一例を次にあげよう。
 彼の門弟の一人(ブラフマー・サマージのマニラール・マリック)の娘が、悲しんで彼に訴えて、自分はお祈りをするときに、気が散って精神を集中することができないと言った。ラーマ・クリシュナは尋ねた。
 「あなたが世の中で、いちばん好きなものは何ですか?」
 それは兄の幼児だと彼女は答えた。すると師は優しく彼女に言った。
 「それじゃあ、あなたの考えを彼に集中しなさい!」
 そこで彼女はそうした。そして、幼児を通して、幼児のクリシュナを見た・・・
 この愛情の花、それはどんなに私には尊いものだろう!なんという深い意味だろう!われわれのめいめいは、たとえ心は闇に充ちていても、いかに微かでも真の愛の発露の中には、神聖な火花をもっている。誰もこの小さい燈明をまったく持たない者はない。それは彼の道を照らすには十分である。すべての道は良い・・・悪い道さえも・・・すべての個人の運命も、もしめいめいがわが道を、誠実に真摯に歩むならば。その他のことは神の御心である。信頼せよ、そして歩め!”

 〈同種類の逸話〉
 “ある善良な祖母さんが年寄ってから世を棄てて、ブリンダーバンで宗教三昧に入りたいと望んだ。ラーマ・クリシュナはそれを断念させて、彼女は孫娘をあまりにも可愛がっているので、彼女の瞑想はそのために乱されるだろうと言った。そして付け加えた。
 「もしあなたが孫娘に対する優しい愛情を、彼女がシュリー・ラディカ(クリシュナの愛人)だと思って育てていけば、ブリンダーバンの生活から期待しているすべてのものはあたえられるでしょう。思うがままに彼女を愛撫し、美味しいものをやり、美しい着物を着せ、自分が満足するまで寵愛しなさい!ただしかし、そうしたすべての行いの中にも、あなたがブリンダーバンの女神を崇めていることを憶えていてください。」(「ラーマ・クリシュナの教え」第一巻70節)
 このように、自分の生活を生き、自分の愛する人々を、単純に平和に愛すればよいのである!彼らの愛のヴェールの蔭から神を見、神に感謝すればよいのである。”

     (「ロマン・ロラン全集 15 生けるインドの神秘と行動」みすず書房より)