「君が代」(皇国日本の崇高なる精神を表す歌) | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・「君が代」(皇国日本の崇高なる精神を表す歌)

 「自然の真理を含みつつ、世界が永遠に存続するようにとの愛善精神を示す」

 

 “「君が代」は周知のように原形は平安時代の古今和歌集の巻7(三四三)番の歌である。発句が ‶わが君は‶ になっている他は全く同じである。 ‶読み人知らず‶ で、その時代では民衆の歌であり、この場合の ‶君‶ とは天皇とは限らず自分の主人とか恋人の事でもあった。わが君は悠久に生きていて下さい、というのである。この歌は後に他の歌集や謡曲の ‶老松‶ や各種の芸能に取り入れられた。そして、明治13年にそれに曲がつくられて国歌と制定されたわけである。

 今、この曲に元気がないとの批判もあるが、簡素で荘厳な優秀作であるということは、つとに音楽の専門家の承認、一致するところである。ただ筆者は思うのだが、‶細(さざれ)‶ と ‶石‶ の間が二拍も空いていて別の語句のような印象を与えるのではないかと。

 細石(さざれ石)といえば万葉集に ‶信濃なる千曲の川の細石も君し踏みては玉と拾はむ‶(好きな人の踏んだ石なら玉として拾いましょう)があるが、これは余談。

 

 さて、京都大学名誉教授(元金沢大学学長)石橋雅義氏は、

 「一千年前に古今集の中で無名の一庶民がご主人を礼讃する歌(わが君は千代に八千代に……)を作っている。しかもどうしてこういう高等な真理を含む歌をつくったかということです。細石が砂になり何万年、何億年たって、それが岩石(水成岩)になる。それを昔の無名の歌人が詠んでいる。それは現在の地学のまさに真髄を言っている。私はある所で日本の識者が世界連邦運動に大変力を入れておられるが、それが出来たときには、この「君が代」を世界連邦歌に推薦しよう、と提案したら大変な拍手を受けたことがあります。実際これ以上の世界連邦歌はないですよ。……また私はわれわれの先祖はそういうことで、素晴らしい霊感と直観力をもっていた、『君が代』を誇りに思え、という話を金沢大学の卒業式の置き土産としたものですが、次の学長も同じ話をやりました(笑)。大学の卒業式で君が代を歌うところはあるでしょうが、その説明をしたのは金沢大学だけです(笑)。」

と語っておられる。

 

 出口王仁三郎師が霊界物語61・62巻の冒頭に「君が代」を掲載されていることは既に書いたが、さらに80巻の付録の中では、「君が代」について、

 

 「君が代を、韻律の法則によって表示すれば、その母音が左右相対的に対称して居て、韻律の美なる事は日本の厳正中立の精神を如実に表徴するものたるを知り得べし」

 

と述べられている。「君が代」は、自然の真理を含みながら、世界が永遠に存続するようにとの愛善精神を示されたものである。過去を超え、国家を超えたもので、こう考えてくると、それこそ本当に世界連邦歌になってもいいのではないかという気持ちにもなってくる。そのためには「君が代」の世界共通語エスペラント訳も必要になってくるだろう。(K・F)”

 

     (「人類愛善新聞」昭和52年3月号 「国歌『君が代』を考える」より)

 

(木庭次守編「新月のかけ」より)