出口聖師の「大地の思想」(1) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・出口聖師の「大地の思想」(1)

 

大国 「土は生命を蒸しわかすところであり、生命あるものは、土が育て上げるものである。また、土は霊界の霊流の最後に止まるところで、ここであらゆるものが完成されて、ここから霊界が出来上がってゆく、いわば霊界の苗代である」というのが、王仁三郎先生の根本の思想ですね。だから、土を捨ててしもうて、土はどうでもよい、というような気持ちをもっていることは、大きな間違いなんですね。土は物を育てて、成長させると同時に、土がみな浄化してゆくものなんです。

 

―― ところが現在、公害の問題が出てきて、土中の微生物が死滅してしまって、土が浄化力を失いつつある、ということが問題になってきましたが……。

 

大国 王仁三郎先生は、よく、土をやたらにコンクリートで埋めてしまってはいかん、と申されていましたよ。かつて、亀岡の天恩郷に高天閣という建物を建てたとき、基礎工事で床下をコンクリートでぬり固めたら、ドエライ叱られたですよ。

 「地気が天上することができなくなると同時に、天の気が地中に入ることができなくなる」

 分かりやすく言えば、天地の呼吸作用をつぶしてしもうたというて叱られたんです。最近、都会の学校では、校庭をアスファルトで固めているところが多いですね。だから子供に非常にケガをする子が多い。同時に生徒が非常に弱くなった。それで、土でなくちゃいかんのだろう、というので、東京の瑞光小学校で、校庭のアスファルトをみな除いてしまって、元の土の校庭にかえした。ところがそれから、子供が非常に元気になって、病気せんようになったし、少々傷しても、すぐ治ってしまうようになった、と新聞に出ていましたよ。これが大事なんですね。大地の気というものを受けんと人間はいかんのですよ。子供はそういうところで運動させたら健康になるんです。王仁三郎先生は、よく、

 「草履をはけ、とくに、足の弱いものは草履をはいて土の上を歩くと丈夫になる。ゴム靴じゃいかん」

と言われたですよ。地気を受けんと、体は弱っちまうですよ。

 地気というものは、午前と午後とで違う。午前中は、地気が天上するときであり、午後は、天の気が地中に入る。これは大きく四季を通じて異なり、六十年目、三百六十年目に周期がある。これが、すべて決まっているんです。それがみな、人間の体に影響してきているんです。それが分かるようにならなければ、まだ科学は幼稚なんですよ。春から夏にかけては、ものが伸びる。秋から冬にかけては、体が肥える。それから、ものが実る。これが一年の呼吸作用ですね。秋から冬にかけては、実る、ということは、天の気が地中に入るときですよ。

 お土というものは、生命の根本のことですから、基本的なものですよ。ところが、それをみんな大したものと考えていない。私はね、王仁三郎先生に怒鳴りつけられたことがあるんですよ。昭和六年の前のことでしたが、伝染病がはやって、バタバタと国民が大勢死んだときです。それで、死んだ人をどんどん土葬しとった。それを私、見たもんですから、集って来た人らに、「土葬なんかしとったら、伝染病で死んだんだから、バイ菌がウヨウヨおる。だから、焼いてバイ菌を殺してから埋めないかん」と言ったんです。ところが、王仁三郎先生が隣で聞いておられたのが出てこられて、

 「なにを言うとるか、大国、お前は、まだわしの教えを悟っとらんか」

といって、信者の前できびしく叱られた。

 「伝染病であろうが、なんであろうが、みな土が浄化してくれる。それでなかったら昔から土中は、バイ菌ばかりになっとるじゃろう。それが、みなきれいになっとるじゃないか。そういうふうに土は出来とるんじゃ。そこをよう考えろ」

といって叱られたんですわ。最近の科学者の中には、ようやく土には解毒作用や殺菌作用があるのではないか、と考える人が多くなってきたようですが、もともと大地というものは、糞便やら腐ったものを入れても、すぐこれを浄化して、新鮮な野菜やら果物を生み出したりする大浄化作用を営んでいるんですからね。

 「土を本当に研究してみろ、あらゆる元素がみな調和しとる」と言われたですが、ほんとうに、よい土を研究してみると、そうなっているんですね。

 

   (「人類愛善新聞」昭和47年1月号 『出口王仁三郎師の大地の思想を語る』より)