古代ユダヤの預言の成就 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・古代ユダヤの預言の成就

 

 “物語六十二巻の讃美歌の中に、次のような国祖御隠退と再現に関するお歌ならびにイスラエル祝福の歌がある。

 

(  いにしへ)の神の開きしエルサレムは ふたたび(もと)に返らむとする

 

  イスラエル十二の流れは(ことごと)く ヨルダン川に注ぎ入るなり

 

 天地(   あまつち)の元つ()(おや)はやらはれて (うづ)の御子たち世に迷ひぬる

 

  時来れば四方(よも)の国より集まりて 神の御稜(みい)()を称へ唱はむ

 

  日の(もと)(いづ)の聖地をやらはれて 自凝(おのころ)(じま)に渡りたまひぬ

 

 瑞(   みづ)御霊(みたま)元つ御国の日の下に 天降ります代は近づきにけり

 

  選まれし御民の勇むときは来ぬ (みづ)御霊(みたま)勝鬨(かちどき)の声

 

  神の民と選り抜かれたる国人(くにびと)の さすらいの夢も今は醒めけり

 

  アブラハムとその御裔(みすえ)をば限りなく 憐れみたもう元津(もとつ)大神(おおかみ)

 

  瑞(   みづ)御霊(みたま)現われましてイスラエルの 家に堅盤(かきは)に守らせたもう

 

 右のお歌の中に「日の下(ひのもと)」とあるのは、ユダヤの故国パレスチナを現わしている。それは物語六十四巻「日下開山」に、「パレスチナは日の下である」と明記されていることによって知られる。「自凝島(おのころじま)」とは日本国をいったものであり、「瑞御霊(みづみたま)」とは聖師にかかられた御神霊を申し上げるものであることは言うまでもない。

 太古の神政が破れて国祖国常立尊はエルサレムの聖地を退き、世界の艮(うしとら)の方位に當たる日本島に落ちのび、幾千年の長い間、再現の日をお待ちになっておられ、また聖地パレスチナに隠退された御妻神も、同じ思いで東の空を仰ぎその日を待ち暮らしていたことであろう。しかるに天運循環して国祖再現の時期が到来し、神政が古(いにしへ)に復(か)えることになったことは神諭その他に詳細に預言されていることである。その前提として旧世界の清算が行われ、いろいろの出来事が世界中に起こることを警告している。このことについて出口王仁三郎全集第五巻の随筆中に、

 

 「世の立替えに至るまでには旧約聖書(ユダヤ教典)にある預言が全部出てくる」

 

と示されている。

 今日の世界中のいろいろの出来事は神諭にいう「金神の渡る架け橋」で、それはことごとく国祖再現、地上天国実現の前奏曲であり、人類をして再び神に還らしめんとする天地の動きにほかならないであろう。

 日猶両民族はその昔、ともにエルサレムに在って国祖の神政に仕えていたのであるが、荒ぶる神の音ない、さ蠅(ばへ)みな沸き立ち、ついに神政が破壊されて、国祖は極東日本に御退隠になり、一はアジアの極西に一は極東に分れていたが、預言されたごとく、この世(物質万能弱肉強食の世)も次第に「終わり」に近づき、国祖の神が再びエルサレムに還らんとする時となった。両民族は今後一体となって国祖の再現、エルサレム復活の大業に奉仕し、永遠に滅びざる神国、すなわち地上永遠の平和世界実現のために、あらゆる努力をしなければならない。これが神から与えられた両民族の使命である。「終わりの日」すなわち「世の立替え立て直し」の一大転換期に當たって、大役を演ずべく太古以来特に用意されていた民族なのである。わが古典にいう「天孫降臨と猿田彦命」の條は、まさに両民族のこの時代における大きな役割を示すものではなかろうか。天孫降臨とは、終わりの日に東の空から雲にのって天降るというユダヤ教のメシア(救世主)降臨と同意義だと解している。

 古典によると、天孫ニニギノミコトが五伴緒をはじめ多くの神々を引き具して天の磐座(いわくら)放ち天の八重垣をイヅの千別きに千別きてお出かけになったが、天の八衢(やちまた)に差しかかり、いずれの地に天降りますべきか方向に迷われた。その時、國つ神の代表として鼻高の猿田彦命がこの八衢に出迎えられ、道先案内をされて無事日向のクシフル高千穂の峯に御降臨されたということである。はじめ猿田彦命は非常な勢いで天の八衢に現れたので、天孫にお供していた神々もその威勢に飲まれてしり込みし、誰一人進んで応対する者がなかった。その時、「手弱女(たおやめ)なれど面勝神(おもかつかみ)」として知られた一行中の女丈夫、天鈿女命(あめのうづめのみこと)が出て応対され、難なく懐柔し、自家薬籠中のものとして道先案内を仰せつけられたのである。後に、猿田彦命と天鈿女命はご夫婦となり「猿女君(さるめのきみ)」の祖と仰がれるに至ったのであるが、これは今後の大きな預言的なぞとしてご参考にかかげておく。”

 

    (「神の國」昭和二十七年四月号 三浦光郎『大本から見たユダヤ教』より)