「霊界物語」の霊界は現界に移写される | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・「霊界物語」の霊界は現界に移写される

 

  “聖師がかつて古事記を言霊によって解釈したように、物語を言霊によって解釈したならば、いかなる神界の秘奥が開明せられるか、全く想像も及ばないことである。しかし、これは言霊に対する特別の能力ある人を除いては、一般の人々にとっては至難のことである。けれども、ここに有難いことには、言霊をよく理解していない一般の人でも、物語を心をひそめて、読み返し、読み返ししているうちに、物語に書いてある事柄が、物語全体としても、また一部分としても、相応の理によって、現界の事象に、明らかに移写されていることを感得することが出来ることである。時として、それが物語の数章、あるいは数節にわたって面白いほどはっきりと、現界に現れている事すらあるのである。

 たとえば「龍宮城の占領戦」や「御玉の争奪」が、物語においては太古の出来事として述べられているにもかかわらず、現代においても、全く同じように、同じことがはげしく戦われているのである。「天の岩戸開」にしても「黄泉比良坂戦」にしても、現代にそっくり、それが起こりつつあるのである。米ソ二大陣営の対立なども、神代にも、こんなによく似た出来事があったのかと驚くばかりである。

 物語の各章、各節は互いに連絡ある一大絵巻であって、どうしても全巻を読む必要がある。ただ一、二箇所を拾い読みしたのでは、其の面白味は解らない。殆ど物語の全部が、あるいは大きい範囲において、あるいは小さい範囲において、常に繰り返し繰り返し地上に移写されつつ進展する姿を、われわれは見ることが出来るのである。

 聖師は物語の中で、

 「この『霊界物語』は、天地剖判の初めより天の岩戸開き後、神素盞嗚命が地球上に跋扈跳梁せる八岐大蛇を寸断し、つひに叢雲宝剣をえて天祖に奉り、至誠を天地に表はし五六七(みろく)神政の成就、松の世を建設し、国祖を地上霊界の主宰神たらしめたまひし太古の神代の物語および霊界探険の大要を略述し、苦・集・滅・道を説き、道・法・礼・節を開示せしものにして、決して現界の事象にたいし、偶意的に編述せしものにあらず。されど神界幽界の出来事は、古今東西の区別なく、現界に現はれ来ることも、あながち否み難きは事実にして、単に神幽両界の事のみと解し等閑に附せず、これによりて心魂を清め言行を改め、霊主体従の本旨を実行されむことを希望す。」

と述べられ、もろもろの出来事が、現界に現われ来ることを否みがたき事実として、特に読者の注意を喚起しておられるのである。”

 

        (「神の国」昭和28年4月号 淺井昇『霊界物語は予言書か』より)

 

 

・「霊界物語を音読する者は、神業に参加しているのだ」 (出口聖師の言葉)

 

*現界と霊界は合わせ鏡であり、天界に属する霊界や地獄界に属する霊界など様々な霊界が無数に存在し、現界に影響を及ぼしているのだそうです。これは個人的な考えですが、遅かれ早かれ「霊界物語」の霊界が現界に移写されて、その結果、この世界がみろくの世へと向かって行くことになるのではないでしょうか。そして一人でも多くの人が「霊界物語」を音読することにより、その言霊によって、みろくの世の実現が早まるのではないかと思うのです。