無抵抗主義 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・無抵抗主義と抵抗主義

 

 “無抵抗主義はじつは極端なる抵抗主義である。打たれても、叩かれても、黙って隠忍しているところに底力のある強い抵抗がある。そしてこの無抵抗の抵抗がついに最後の勝(かち)を制するのである。

 天理教祖のおみきさんは、牢獄に投ぜらるること、幾回なるかを知らず、警官の叱責にあうや、いつでもただ、ハイ、ハイというていた。

 「ハイ、ハイ、ハイで這い登れ山の上まで」

 というのが、つねに彼女が教え子たちに示したモット―であったということである。(大正十四年八月)”

 

      (「水鏡」より)

 

 

・グルジェフ・ワークを通じて理解したこと (P・D・ウスペンスキー)

 ”私の内部のどこか非常に深いところで、暴力の不可能性という秘教の原理を、つまり何を獲得するためであろうと暴力的手段は無益であるということを理解した。いかなることにおいてであろうと、暴力的な手段や方法は必ず否定的な結果、つまり目指す結果とは裏腹の結果を生み出すということを疑いようもなくはっきりと理解し、この感じは後になっても完全に消えることはなかった。私のたどりついたものは外見的にはトルストイの無抵抗のようなものだったが、実際には無抵抗では全くなかった。というのも、私はそれに倫理的観点からではなく実際的な観点からたどり着いたのであり、何が良い何が悪いといった見地からではなく実際的、便宜的見地からたどりついたからである。”

           (P・D・ウスペンスキー「奇蹟を求めて」平河出版社より)

 

 

・ドゥホボール教徒

 

 “ドゥホボール教徒という名は、多くの読者に初耳であろう。人はたいてい序文を瞥見してから本を求め、また借覧する風習があるので、私は最も手短に、又できれば有効にそれを略説したい。

 ロシヤのコーカサスの山奥に発生した土俗宗教で、多いときでも信徒二、三万をこえぬ小さな信仰団体だ。聖書の中の「汝、殺すなかれ」と「悪(暴力)に抵抗するに悪を以ってする勿れ」を中心信条として、ひたすらに平和と無抵抗主義を実行する無智で純朴な山男の集団だ。

 それが今までは何の気もなく服役していた徴兵は、人殺しの団体的訓練であることに、日清戦争の前後ふと気づいて、急に銃剣を返納し、練兵をこばみ出して、どうすかしても応じない。

 軍隊以外でもみんなそれに応じて家にある銃剣はもちろん、鎌や農具まで、使いようによっては殺人道具になると云って、集めて焼き捨ててしまった。又政府や国家組織も暴力だと云って、納税しなくなった。

 これがひろがったら国家は成り立たないと心配したツァの政府は、あらゆる迫害を加え、ついに大量虐殺をおこなって、この一団を絶滅しようと、残虐いたらざるなき手段を講じたが、無智な者の信念ほど強固で、よくそれに堪えてビクともしなかった。これほど徹底した殉教はない。

 トルストイがそれを知って、ロシヤ政府の非人道を世界に訴えると、ツァ政府でももてあまし、国外追放を宣言した。幸いカナダがそれを引き受けると申し出てくれたものの、大集団の渡航費がないし、移住後落ち着く家の建設費も農耕地の購入費もない。トルストイの一声で、クエーカー宗を初め、西欧のキリスト教諸団体が、続々と金品を送ってきたが、まだまだ足らぬ。ノーベル賞が制定されて第一回の平和賞候補にトルストイが内定しかかったと知ると、ヤースナヤボリャーナの老聖は、金銭はワシには有害だから、代わりにドゥホボールに与えてくれと申し出ても、選考委員が、全くこの小宗教団体を知らぬのだから応じてくれない。

 トルストイは最後の切り札を思いついた。小説を書くことだ。小説の著作も、「悪」だと心得るに至って、十年以上筆を絶っているが、背に腹は代えられず、昔書き残しのままで捨ておいた原稿を書き継いで完成したのがすなわち「復活」である。この印税に寄って二万余のドゥホボール家族がカナダに移住できた。他の者は知らぬ外地に不安をおぼえて、郷土に居残ることになった。それにしても印税がそんな大金になるのかと、初め私たちは驚いたものだった。

 「復活」の英訳者のエイルマー・モードもその印税をおくると、彼等は折角の好意はありがたいが、じつはトルストイ翁の恩恵も受けたくなかったのだ。「復活」は主旨は結構としても、読者は上の巻第十七章のカチューシャ誘惑の場に興味をひかれて読む者が多いだろう。今は移住もすんで、ひと落ちつきしたのだからと云って、翻訳印税はモードのもとへそっくり送り返してきた。

 私はこれを知って、その徹底的な反戦主義の実践に感動すると共に、「復活」の一件で、私の文学観はひどく変わってきた”

 

         (木村毅「ドゥホボール教徒の話」恒文社より)

 

ドゥホボール教徒について (ルドルフ・シュタイナー)

 

 ”ロシアには深い宗教性を内に秘めたドゥホボル派(霊のための闘士たち)という異端の一派がありました。素朴ながら、非常に美しい形の神智学教義をもっていました。この人々はひどい迫害を受けてきましたから、表面的にはもはや眼に見える影響力をもっていません。唯物論者たちは言うでしょう。彼らがどんな目的をもっていたにせよ、その影響力はすでに失われてしまった、と。

 しかしドゥホボル派の人々はすべて、生まれ変わってきたとき、共同の絆で結ばれ、かって身につけた教えを後世の人類の中に注ぎ込むのです。人々の出会いは、内的な人と人との絆は、転生を通して消えることなく人類に働きかけつづけます。人が一度体得した理念は、世界の中へ流れていきます。その理念はより深められて、後世の人々に受け継がれていくのです。”

 

         (「シュタイナー 霊的宇宙論」春秋社より)