命日の因縁、慰霊祭 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・命日の因縁、慰霊祭

 

 “大本では祖霊の年祭は、その命日か命日以前に行うべきであって、後日にすべきでないとされていますが、それは事故死などをして、その霊が浮かばれておらず、み霊(たま)まつりが不十分であるために苦しんでいる霊魂が、特に命日に供養を求めて、近親者、同郷者またはその現場に近づく人に救いを訴えて、いろいろな、現界的の不祥事を起こす可能性があるからであります。”

 

 “河川や内海で、昔から行われてきた灯篭流しの行事は、本来は、水死者に対する慰霊のためのものでありますが、近時はそれがだんだんと観光客を集めるための一種のショーと化し、また山の遭難者の霊を慰め、山を守護する神霊に祈る火祭りなども同様でありまして、また他面では、公害防止の立場から、その禁止論が起きて来るなど、本来の精神から遠く遊離した賛否の論がたたかわされていることは、誠に遺憾に思われます。

 しかし、こういう時代にこそ、宗教者がこれらの面の霊的現象を正しく悟って、広く民衆に対して、その理解と実践をよく指導するよう、一層の努力が要請されるのであります。”

 

               (「おほもと」昭和51年8月号 葦原萬象『土地建物の因縁』より)

 

 

・江戸時代の霊界通信「幽顕問答」 

 

霊「死して霊となりたる者は顕世のことには関与せぬものなり。顕世のことは見聞きするのも穢らわしきのみならず、霊は人間のことには関わらぬが掟なり。ただし、生存中に心を残し思いを込めたる事は、霊となりたるのちもよく知れることができ、またよく知れるが故に苦痛が絶えざるなり。およそ霊は人間界の成り行きは知らぬが常なり。されば余も詳しきことは知らず。ただ人体に憑きてその耳目を借りおる間は、人間界のすべてを知りうるものぞ。
 さて、余のごとく人の体を借りるに当たりて、それを病ましむるはなぜというに、人の魂は太く盛んなるが故に、これを病ましれざれば余の宿るべき場所の無ければなり。気の毒なれど余は市次郎(若主人の名)を苦しめてその魂を脇へ押しやり、その空所に余の魂を満たしぬ。
 市次郎の体は今見らるるごとく大病人なれど、内実は余の宿なり。されば前に述べたるごとく幽界に入りては人間界のことは知らぬが道なれど、ただ人体に憑りたる間のことはよく知りおれば、何事にても問われよ。また生前に心をこめし事もよく知りおるなり。」

宮崎氏「さらば人間界において弔祭(供養・祭礼)など催すとも幽界の魂には通ぜぬことにならずや。」

霊「なかなかしからず。考えてもみられよ。神を祀り魂を供養するは、たとえ人間界の催しとは申せ、そはみな幽界に関わることにあらずや。故に祭祀は神にも通じ霊魂にも通ずるなり。金銭のやり取り婚姻等の俗事は穢らわしければ、霊はこれを見聞きするを避くるなり。霊となりては衣食ともに不要なるが故に欲しきものもなく、ただ苦を厭い楽しみを思うのみなり。
 さて祭事を行うに当たり人々俗事を忘れて親しく楽しむ心は幽界に通じ、祭られし霊魂もこれに感応して歓ぶ。歓べば自然に魂も大きくなり、徳も高くなり、祭りを行いたる者も幸福を受くるものにて、人間界より誠を尽くせばその誠よく霊に通ずるものなり。」
 《中略》

吉富氏「彼岸盆会には世俗みな霊を祀る慣習なるが、かかる折には霊魂は実際に来臨するものか。」

霊「彼岸盆会は世俗おしなべて霊を祭る時と定めてあれば、霊界にても祀りを受くべき時と直感し、また死せる人も盆会には必ず来るものと思い込みて死せるが故に、必ず現れ来たるなり。・・・・」
 

宮崎氏「帰幽せる霊はみな各自の墓所にのみ居るものか」

霊「常に鎮まりたるは余のごとく無念を抱きて相果てし輩(やから)か、あるいは最初よりその墓に永く鎮まらんと思い定めたる類にして、その数、いと少なし。多数の霊魂の赴く先は霊の世界のことゆえ言葉にては告げ難し」

宮崎氏「墓所に居らざる霊魂はいずこにて供養を受くるか。彼らもその供養の場に訪れるものか」

霊「地上にて幾百年も引き続きて行い来たれる祭り事は幽界にてもだいたいそのごとく定まれるものなり。されば勝手に月日を改め、そのことを霊魂に告げずして執行すれば、それがために却って凶事を招くこともあり。
 なぜというに、霊がいつもの期日を思い出し祭りを受けに来るに、すでに済みたるを知り不快に思うが故なり。
 地上にて同時に数カ所にて祭祀を行う時には、霊は数個に分かれてそれぞれの祭場に到り、祭りを受くるものなり。たとえ百カ所にて祭るとも、霊は百個に分かれて百カ所に到るべし。もっとも余のごとき者の霊は一つに凝り固まりて、その自由は得がたし。」

宮崎氏「年号月日はいかにして霊界に知れるぞ」

霊「先に述べたるごとく人間界のことは人の耳目を借らざれば正確には知り難し。われ先月より市次郎の耳目を借りて見るに、あの通り帳面三つ掛けありて、ともに天保十年正月と記せるを見れば、いずれも同時に調整され、今年が天保十年になること明らかなり。また月日を知るは、七月四日が余の忌日(命日)にて、その日は霊界にありてもよく知らるるなり。これはひとり余にかぎらず、他の霊魂もみなその忌日は知りおるものぞ」

         (近藤千雄編「古武士霊は語る 実録 幽顕問答」潮文社より)

 

(「幽顕問答」とは、今から数百年前に、無念の割腹自殺を遂げた加賀の武士が、積年の願いを遂げるため、天保十年に筑前(福岡県)のある家の若主人に憑依して出現し、その宿願を果たすとともに、ことのついでに現界と死後の世界とのつながりについて物語ったものの記録です。地元神社の宮司で、国学者・平田篤胤の弟子でもあった神道家、宮崎大門らが、武士の霊と交わした問答が克明に記録されており、亡くなった方々に対する供養のやり方を考える上で、非常に参考になる本です。)