「本霊(本守護神)」の覚醒 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・「本霊(本守護神)」の覚醒

 

 “出口聖師は「応病施薬」と題する一文において、現代の人間の多くを精神病患者に、幾多の聖賢を医者に、教理を医薬にたとえて、

 「真の健康体を養う為には、どうしても神より与えられた精神的本能に目ざめることが大切であって、教理なるものは第二義的の医薬に相当するものなることに気づかねばならぬ。而して今日の世の中は、成程医薬そのものは中々立派なものであるが、応病施薬が無いのが遺憾である。若し真に仏教が復興するのなら釈迦に匹敵する人物が顕れなければ嘘である。又基督教が更生する為なら耶蘇が今再臨しなくては駄目である。

 兎も角今日の宗教復興は、胃病患者に肺病の妙薬を与え、脳病人に心臓薬を与えて居るようなものであって、一時の安心は得られるかも知れないが、病魔の根本的治療はおそらく不可能事であろう」

と述べておられる。

 聖師のいわれている宗教心とは特別なものではない。

 

 「腹が減ると飯が食べたくなる。それは経験によって人間が修得するものでなく、生まれながらに神から与えられた本能である。この本能はただ肉体的方面に働くのみでなく、精神方面にも働くものである。即ち人間の精神が健全であると、物の正邪善悪は、丁度腹の中から空腹を訴えると同様に、心の中から私語(ささや)く声によって判断する事ができるものである」

 

 この「心の中からささやく声」は精神的本能の声である。これを本霊(本守護神)の声といってもよい。この本霊を良心、超越意識などという言葉で表現されていることもある。

 この精神的本能を目ざめしめ、活力を与えてその力を発揮せしめることが宗教の本来の使命である。ところが、精神的本能……良心がマヒ状態におちいっているのが今の世の中である。そしてこの良心の発動には「個人的良心」ばかりでなく「社会的良心」の発動が大切であって、それなくして「社会正義」が実現されるものでは決してないのである。”

 

     (「神の國」昭和29年7月号 櫻井重雄『精神的本能の覚醒』より)

 

 

・グルジェフとバパ・ムハマッド・スブー

 

 “……真の礼拝は目ざめた魂から、また人間の本心(コンシェンス)から発しなければならないということだけでなく、魂が真に覚醒することができる方法が現実に得られるということをも人々が理解するようになるとき、現在の世代において新しい世界が誕生するのを私たちが目撃できるほど、すばらしく急速な諸変化が地上くまなく行きわたるのを、期待できるでしょう。”

 

 “一九四八年の六月に、私が二十五年ぶりでグルジェフのもとにもどった時からこの話は始まる。二人が初めて会ったとき、かれは私に、そのころまだ原稿のままであった『ありとしあらゆるもの』(All and Everything)のアシアタ・シェマッシュの章を三回読んで欲しいと頼み、この章は私にとっていちばん重要な内容を持っているのだからとつけ加えた。あとになって、二人が話し合ったときにも、かれはたびたびこの問題に話をもどした。かれの説明をきくと、人間の魂のうちに起こる「本心(コンシェンス)」の覚醒こそ、かれの体系の目標とされたものであり、今もそうであるということが分かったし、「人間の調和的発展」を成就する唯一の希望もそこにあるとかれが考えていることも明らかになった。”

 

 “いろいろの糸をたぐり合わせてみるとき、人類がいま新しい「時代」に入ろうとしていることと、人々が外的生活の改革よりもむしろ内面的な変化を求めているということが分かる。この変化がどんな形式をとるかということは、グルジェフによって最も明らかに示されている。それは神聖な本心(コンシェンス)の衝動の目ざめであり、それにはまず、一人の覚醒した人間の出現が必要で、ついでその覚醒した人間から他の人々に次々と光を伝えてゆく形で実現される。”

 

 “とにかく、スブドは単にグルジェフの弟子たちにのみ与えられるべきものではなかった。パ・スブー自身も、スブドはいかなる宗教や方法にも結びつけられていないと言っている。キリスト教徒にとっては、スブドはかれの信仰を深め、内的な確信をともなわずにあまりにもしばしば口に出されている、言葉の文字通りの真実を理解させる一手段――全く奇蹟的な手段――である。同じことがユダヤ教徒や回教徒にも、また東洋の他の諸宗教に従う人々についても言える。グルジェフの教えのように、人間に潜在する高次の意識の覚醒を求める特殊の道や体系に従う人々にとって、スブドは、かれらが必要であると承知していても実際には力が及ばない目標を達成するための、きわめて強力な手段を提供しているように私には考えられる。”

 

 “パ・スブーはラティハンを受けることを希望する者に対して、如何なる人種的・信仰的差別も立てず、スブドは新宗教でも一つの思想体系でもなく、単に各人の個人的信仰と実践に応じて、その人のなかに霊的生命が覚醒され強化される一手段であると力説した。”

 

       (J・G・ベンネット「二十世紀の奇蹟 スブド」理想社より)