大本教旨・大本三大学則 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

                  (亀岡・天恩郷の「教学碑」)

 

〔大本教旨〕

神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の大司宰也。神人合一して茲に無限の権力を発揮⦿()

 

〔大本三大学則〕

一、 天地の真象を観察して、真神の体を思考すべし

一、 万有の運化の事差なきを視て、真神のカを思考すべし

一、 活物の心性を覚悟して、真神の霊魂を思考すベし

 

 

・天恩郷の「教学碑」建立時のお話

 

 “この碑文は一九三四年(昭和九年)頃、宗教法人・大本の出口王仁三郎師が書き、側近の中の側近だった大国以都雄がこれの一時的保管を京都市内の信徒に依頼…。一方の大本が、昭和十年十二月八日未明から始まった、徹底した宗教弾圧・第二次大本事件から再起したのが戦後、そして建物など一通りの再建後、敷地内に石碑などの建立を終えたのが昭和二十八年(一九五三年)の四月八日。それは私がどうにか旬刊「人類愛善新聞」の記者になり、大国以都雄編集部長のもと、主任役で動き出したのと同時期。この石碑建立の除幕式典に参列した大国部長が事務所に帰るなり、特別に波多野庶務部長と私を呼び、言われたことは、

 「あの石碑にかかれているのは、大本の教旨。かつて出口師から『将来、この石碑を見たいと世界中から人が来るんだ』と言われたこともある程のもの。それだけに建立場所を一番上の誰にも目立つところにすればよかったのに…。忘れることなく憶えていてほしい」と。”

 

     (長掛芳助介「いま絶対必要な「霊・力・体」三元哲理」みいづ舎より)

 

 

・大本三大学則とは

 

 “……若い頃の王仁三郎もまた、神を求めて悩んだ。一八三七年八月下句、王仁三郎は産土の小幡神社に夜ひそかに参龍し、神教を請う。三七日(みなぬか)(二一日間)の上りに、はっきりと神示を得た。

 

 一 天地の真象を観察して、真神の体を思考すべし

 一 万有の運化の事差なきを視て、真神のカを思考すべし

 一 活物の心性を覚悟して、真神の霊魂を思考すベし

 

 王仁三郎がその意義を問うと、神は教えた。「三条の学則は、これ神の黙示なり。汝よく天地に俯仰して観察すべし。宇宙は、この霊と力と体との三大元質をもって充たされるを知り得ん。この活教典をもって、真神の真神たる故由(ゆえ)を知ることを知り得ん。この活教典をもって、真神の真神たる故由を知ることを得ん。なんぞ人為に成れる書籍を学習するに及ばんや。ただ宇宙間にはこの不変不易たる真鑑実理あるのみ」

 これが大本三大学則として、神を知るための基本理念になっている。くだいていえば、「神の実在、力徳、神性を悟るには、書籍や学間などに頼らず、直接天地自然を心ひそめて観察せよ。そうすれば、どんな人にでも分るのだ」との意だ。

 

   大本の 教(のり)の奥所(おくが)をまつぶさに 説き示さんと選(えり)しこの学則

 

――《中略》――

 

 総本体である大国常立尊はあまりにも洪大無辺で、その全体を察することは不可能だが、粟一粒にも米一粒にも真の神の霊力体が混然と融合し、粟は粟粒なり、米は米粒なりに独特の機能を発揮している。王仁三郎の妻澄はご粒の米の中にも三体の神いますこと夢な忘れそ」と歌うが、粟粒も米粒もいわば小国常立尊である。そして大国常立尊の縮図である小国常立尊は天地間に満ち満ちているのだ。

 神は姿をお持ちにならぬから、見ることはできぬ。だが感じることはできる。驚くことのできるみずみずしい心を持ち、活眼を開き、素直な心で天地間のあらゆるものに対すれば、悟りの種はいつどこにでもころがっている。

 天思郷にある三大学則碑の前文には、「神の黙示は即ちわが俯仰観察する宇宙の霊力体の三大をもってす」とあるが、めぐりうつる大自然こそ生きた教科書であって、神は早く悟れよと示されている。それが黙示ということであろう。

 『スーパー・ネイチャー|』、『生命潮流』などの世界的ベストセラーの書で知られるライアル・ワトソンは一九七八年夏に亀岡の大本本部で開かれた第三回大本日本伝統学苑に学苑生の一人として参加したが、その間三回にわたり学苑生に講話した。その中で、大本三大学則についてふれている。

 

 「皆さんご存じのように天思郷万祥殿の裏に二つの石碑があります。そのうちの奥まった所にある石碑には、大本三大学則が刻まれております。これはいうまでもなく大本教祖出口王仁三郎師が唱えられたものですが、私はこの学則を拝見し、その英訳文を読んで、たいへん感動しました。そこには、私がこれまで探究しつづけた万象の心理を究める方途が端的に表現されていたからです。この大本三大学則との遭遇は、自然科学者である私に今後の進路を明示してくれたといっても、決して過言ではありません。私のみならず、世界のすべての学者に物事を研究、観察する上での基本的な姿勢をうち出しているといってもよいでしょう。私がなぜ大本へ引き寄せられたのか、この学則に遭遇してはっきりと認識できたわけです。」(『おほもと』昭和五四年三月号「自然科学と三大学則」)

 

 真撃に宇宙の神秘に目を見開こうとする科学者は、今後も三大学則に新たな発想の源泉を見出すであろう。

 

 「梧桐(ごどう)一葉落ちて天下の秋を伝う。春風一陣水を過りて万波揺るぐ。成因成果ことごとくみなものの教えとならぬはない。山野の樹草は風に吹かれて自然の舞踏を演じ、河水はひとり音楽を奏し、鳥歌い蝶舞い花笑う至美至楽の天地、一として神の御声ならざるはなく、神の御姿ならざるはない。空にかがやく日月も、星辰も、皆これ神の表現、天地は吾々の大師であり教典である。善悪美醜一として神の御姿ならざるはない」(『霊界物語』二五巻「総説」)

 

    教とは 人の覚りのおよばざる 天地の神の言葉なりけり

 

         (出口和明「出口王仁三郎の神の活哲学」より)