日本は沈没しない (蟇目の法) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・「蟇目(ひきめ)の法」によって建てられた四十八の歌碑

 

 “王仁三郎は、全国各地のいろいろなところに、いろいろな形で救いの証を残しています。

 作家の小松左京氏の著作に『日本列島沈没論』というのがありますね。実はそれを読んでから、そうだ王仁三郎もこのようなことを書いていたなと思いだしたのですが、これについて少し述べておきたいと思います。

 日本列島が沈没してしまったら「救い」にはなりません。そこで、王仁三郎は日本列島を救うために、日本の各地に歌碑を建てました。最初、私は王仁三郎を讃えるために、あるいは顕彰するために、どこかの大金持ちが建てたのだろうと、想像していたのですが、どっこいそうではなかったのです。一番目にどこに建てられたか、二番目はどこかと考えて行くと、なるほどと思い当たる節があるのです。つまり、一定の法則にのっとって、計算づくで歌碑は建てられていたのですね。…”

 

 “王仁三郎の建てた歌碑は全部で四十八あります。四十八は仏教でいうと、完全な数字ということです。「いろは四十八文字」といいますね。大本にも、いろは四十八文字で世を立替え立て直す、世を救うということばがあります。

 この四十八について、王仁三郎は面白いことを言っています。忠臣蔵の四十七士が命をまっとうできなかったのは、一人足りなかったからで、四十八だったら死なずにすんだというのです。これは一体どういう意味なんでしょうか。

 いろはの一番最後は「ん」ですね。「ウン(運)」がなかったのです。これは、決して落とし話でも語呂合わせでもありません。言霊でいうと、「う」と「む」の合字なのです。つまり、「産みだす」という意味です。すべてのものを産みだす力というのは神の力ですから、「うむ」のないものは神の手を離れたものであって命がない、と王仁三郎はいっているのです。さきほど述べました高皇産霊と神御産霊も、「むすび」ですから「産」と「産」で産みだす力を秘めているわけです。この力がなかったら、生命というものはないのです。

 四十八という数字には、これほど重い意味があるのです。

 王仁三郎は、日本中を歩いてまわり、自作自演の映画「昭和の七福神」(「甦る出口王仁三郎」のタイトルで八幡書店よりビデオ化、発売中)のなかで、「吾こそは言霊清き蛭子なり国のあちこち歌碑(うたぶみ)建つるも」と詠じているように、霊的に重要な場所に歌碑を建てました。そして、四十八の歌碑を建て終えると、自信を持って「日本の国は私が守ったんだ」といいました。「蟇目の法」で歌碑を建てたところと、天柱を繋いだから、日本列島は沈まないのだと断言しているのです。

 それから、歌碑を建てた場所なのですが、これにもちゃんと順番があるのです。

 最初に歌碑が建てられたのは、綾部の熊野神社の境内で、これは大本開祖の初発の宣言を伝えたことに由来します。そして、二番目が北海道の芦別山です。ここは艮の金神様が鎮まったところです。

 「艮の金神様」とは、国祖国常立尊のことです。その妻神が坤の金神です。「艮」も「坤」も方角を指すことばなのです。「艮の金神」は東北の方角にある北海道の芦別山に隠退され、「坤の金神」は日本の西南の方角にある奄美大島の喜界島という小さな島に引退されたといいます。ここの歌碑は三番目に建てられています。

 このように考えてゆくと、恣意的に、もしくは人為的に決めてしまった場所は一箇所もないのです。”

 

     (「予言と神話」 窪田英治『出口王仁三郎の大予言』八幡書店)