宇宙万有は神の大愛によって創造された | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

 “「…愛というものは本当に人を動かし、愛一つで世界をうでくりかえすこともできるものである。元来、宇宙万有は神の大愛によって造られたものであるから、本当に神の大愛に徹したならば、人のみならず畜類虫族はもちろん山河草木に至るまで喜びなびかないものはない。無限大の宇宙といえども自由になるものである。…(中略)…今の人間は、愛々言うても表面(うわつら)の愛で、本当の吾が子を心の底から愛する慈母のような愛ではない。ほんの表面の愛に過ぎない愛じゃ。全世界の人類のみならず、万有を愛護される大神様の大神業に奉仕させていただく者は、この心にならねばならぬ。この事を俺がいくら言って聞かしても、皆が留意し実行できないから今までの信者は成功せんのじゃ」と聖師様からうかがった。”

 

      (「出口王仁三郎の十年目の弟子 湯浅仁斎思い出語り」いづとみづ)

 

 

 “聖師さまを一口にいうなら、「非常に人を大事にし、また物を大事にされた方である」ということができましょう。聖師さまの牛飼いの話は有名ですが、牛に限らず、猫にしろチャボにしろ、犬にしろヤギにしろ、そこらにいる生き物が可愛くて仕方がないようでした。

 生き物だけでなく、樹木を愛されるのもお楽しみの一つであり、また朝の散歩によく田んぼを見廻られましが、そうした時、稲に一々挨拶をして廻られるのが常のことでした。そのわけをきくと、稲が自分の主人が廻って来たといってとても喜ぶからだといわれ、万有は神の愛によって造られたものだから、どんな物でも愛に感じないものはない。愛をもってすれば、稲も相応の理によって、よく稔るものだと教えられました。”

 

     (「人類愛善新聞」昭和38年1月20日号 三浦玖仁子『「愛」に徹した日々』)

 

   あめつちに愛の発動なかりせば 森羅万象ほろびゆくべし  (「歌集 愛善の道」)

 

 

〔スーフィー(イスラム神秘主義)〕

・アヴィセンナ(イブン・シーナー)(10~11世紀、ペルシャ)の教え

 “アヴィセンナは科学や哲学上の難題に悩まされると、いつでもモスクに赴いて礼拝し、実際礼拝の効果、日常的な儀礼の励行、聖者の墓所などへの巡礼などについていくつか論攷を著している。彼は宗教的行為を有益と考えたが、それは彼の世界観によれば実在の全秩序、特に人間の霊魂、神、天体霊魂の間に共感があり、諸宗教で規定された礼拝の行為によりそれが強められるからである。宇宙に浸透し礼拝の行為に意義を与える共感は愛の結果であるが、愛は宇宙の血管を走り、創造された秩序の存在の原因であり、それを動かす力である。一方この愛は、愛の最高の対象、最高の主体たる神の愛から生ずる。アヴィセンナが『愛に関する論攷』で次のように書いているように。

 

 『支配に服すにはあまりに高遠な存在は、愛の最高の対象でなければならない。なぜならそれは最高の善でなければならないから。愛の最高の主体は愛の最高の対象と同一である、すなわちその〔神〕の崇高な本質である。なぜなら善きものは、善きものを善きものに結びつけるような努力の達成と洞察を通じて、善きものを愛するからであり、第一の善は自己自身を永遠に現実的に洞察し、したがってその自己に対する愛は完璧だからである。しかもその本質の神的諸性質に区別はないから、ここで愛は純粋に、すなわち純粋善において、本質と存在である。

 それゆえあらゆる存在において、愛は存在の原因であるか、あるいは存在と同一であるかのいずれかである。かくていかなる存在も愛を欠いていないことは明らかであり、まさにこのことを示すのがわれわれの意図であった。』”

 

      (S・H・ナスル「イスラームの哲学者たち」岩波書店)

 

・イブン・アラビー(12~13世紀)の教え 

  「神の慈愛の息吹によって、宇宙は絶え間なく再生される」  

 “最も驚くべきは、人間および他のすべての被造物がたえず上昇の過程にあるということである。しかし、ふつうは、ヴェールが極端に薄く繊細なために(我々は非常に透明なヴェールを通して何かを見るとき、自分と対象とのあいだに存在するヴェールに気づかないものである)、あるいは引きつづき生まれる形体が、以前の形体と非常に類似しているために、人々はこの運動に気がつかない。神による宇宙の描写は、何とすばらしいことだろう。またつねに「新たなる創造」を内包している「慈愛の息吹」によって、神が宇宙を絶え間なく再生したもうとは何とすばらしいことだろう。しかしコーランが述べているように、このことは少数の人にしか理解されない。「否、新しい創造に関して、彼らはまったく混乱している」(50章15節)。つまり、このことを理解しない人は混乱の状態にある。慈愛の息吹によって宇宙が絶え間なく再生されていることを、彼らは知らないからである。”

 

      (ラレ・バフティヤル「スーフィー イスラムの神秘階梯」平凡社)