神示の手あて療法 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “・・・このころ、お膝を痛めておられました。神経痛のようで、聖師さまにしてもこれはどうにもならなかったようです。私の手をご自分の膝頭の痛い個所にあてられ、
 「ここへじっと手を当てておけ。当ててさえおればそれでよいのや」と、おっしゃいました。そして、
 「人間の手からは霊気(レイキ)がでている。ことに神さまを拝む人の手からは余計に霊気が出ているでな。世間では、手当が良かった、とか、手当が遅すぎたとかいろいろ言うのは、そこから出ているのだ」”

 “私の母は八十九歳の長寿を保つことができました。ある日、「お母さんの長生きの秘訣はなんですか」と尋ねたことがあります。母は、
 「聖師さまがある時、私の手をお腹に持ってゆかれ、・・・ここへ手を当てておけ、病気の原因はすべてお腹にあるのだから。じっと手を当てておけばよい・・・とお教え下さり、毎晩それを実行している。またある時、聖師さまは、ご自身の親指の爪を私の爪の間に入れて、霊気を十本の指から入れて下さった。そのおかげで、私はこう長生きできるのだろう」と、しみじみ語っておりました。”

        (三浦玖仁子「花いろいろ 出口王仁三郎聖師側近七年の記録」)

 

 

 “出口王仁三郎翁の説では、朝晩に神さまに手を合わせている人たちの手掌は特別によく「手あて療法」に効くといい、実際方法としては別項霊界物語第一巻に示されたる如く「かむながらたまちはへませ」と二回唱えて両手の掌に二回息吹(いぶき)をかけ、その手掌をただちに患部につけて病気をいやされたことが記されている。あたかも黒住教々祖の黒住宗忠先生が、太陽の陽気を吸い込んで、これを両手掌に吹きかけ、その手を患部につけて病人をいやしたというのと似ている。”

 

 “筆者はどなたの手も借りず、ひとりでに本来の癒能力を体得したのであるから、どなたでもその気になって、自信を持って行いさえすれば、その日からでも、相当な能力を発揮できることは疑いがない。筆者の持論からいうならば、人手を借りなければ開発ができないものだと考えること自体が、すでに本来能力の「自己放棄」につながるものであってすこぶる面白くないのである。価値を外にばかり求めて、自分を台無しにすることは、そのまま偶像崇拝につながる危険な発想だといわざるをえない。たちの悪い術者ならば、その弱みにつけこんで、霊力を授けてやるから金を何万円出せとか、特別な極意、奥伝を授けてやるからなどと、ついには迷信にまで発展する恐れがある。そうなると、ますます自己の尊厳(神子権)は侵害され、極意様、奥伝様の前にお辞儀し、よその霊力の前に頭があがらんことになってしまい、みずからの力がそれだけ低下し、引っ込んでしまうことになるのである。”

 

 “私はもともと宗教家である。「手あて」のときは必ず神を念じ、神に祈りつつ行っている。だから「治る」のも神さまのおかげ、「治らない」のも神さまのおかげだと信じている。゛治らないからおかげがない゛などとは毛頭思ってはいない。゛病気になるのも神さまのおかげだ゛と確信している。だから死ぬ人を生かしたり、生きる人を殺すような無理なことはしたくない。私はただ手をあてているだけである。治る、治らないは゛神のまにまに゛である。すなわち、ご本人の生命力の問題である。術者のせいではないと思っている。術者に必要なのは慈念(愛善心)だけである。術者は「神」と「患者」との間を取り持つ「媒介者(とりつぎ)」にすぎない。なにも自分が治すのではないから、特別に力(りき)む必要もない。また患者が治ったからといって威張るにも及ばない。なにも自分の力量(ちから)ではないのだから、ただ神さまに使っていただいたという誇りはあっても良いだろう。”

 

         (三浦一郎「新健康法 手あて療法」たま出版)

 

 

 “ヒヤヒヤとする氷結した暗い途(みち)を倒(こけ)つ転(まろ)びつ、地の底へ地の底へとすべりこんだ。暗黒で何一つ見えぬが、前後左右に何とも言へぬ苦悶の声がする。はるか前方に、女の苦しさうな叫び声が聞える。血醒さい臭気が鼻を衝いて、胸が悪くて嘔吐を催してくる。たちまち脚元がすべつて、何百間とも知れぬやうな深い地底へ急転直落した。腰も足も頭も顔も岩角に打たれて血塗(ちみどろ)になつた。神名を奉唱すると、自分の四辺数十間ばかりがやや明るくなつてきた。自分は身体一面の傷を見て大いに驚き「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)」を二度繰返して、手に息をかけ全身を撫でさすつてみた。神徳たちまち現はれ、傷も痛みも全部恢復した。ただちに大神様に拍手し感謝した。言霊の神力で四辺遠く暗は晴れわたり、にはかに陽気づいてきた。”

 

        (「霊界物語 第一巻 霊主体従 子の巻」『第一〇章 二段目の水獄』)