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7月4日、地球と太陽の距離が最大に


Chou-Chou et Noir-地球と太陽

アメリカ、ニューメキシコ州の
ロスアラモス国立研究所に
沈む太陽(6月29日撮影)。

Photograph by Eric Draper, Reuters


メモ

July 1, 2011

 7月4日、太陽がいつもより少し

だけ小さく見えたとしても、けして

気のせいではない。

今年も地球が太陽から最も遠ざ

かる日がやってくる。



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ロシアの水中洞窟 Orda Cave


Chou-Chou et Noir-水中洞窟


メモ

July 1, 2011


 ロシア西部、ウラル地方にある世界最長の

水中石膏洞窟「オルダ洞窟(Orda Cave)」

(6月公開)。

透明な水の温度は氷点に近い。

石膏ボードやしっくいの材料として知られる

石膏は、カルシウムが主成分の軟らかい

鉱物だが、条件が揃うと透明な結晶になる

こともある。

全長は4.8キロに及び、ダイバーチームは

6カ月かけて調査・記録した。




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引退を迎えるスペースシャトル


Chou-Chou et Noir-引退SS


メモ

June 30, 2011

 アメリカ航空宇宙局(NASA)は

28日、スペースシャトル計画の

最後の飛行となる「アトランティス」

の打ち上げを、

米東部時間7月8日午前11時26分

(日本時間9日午前0時26分)に行う

ことを決定した。

 アトランティスには多目的補給

モジュール「ラファエロ」を積載し、

国際宇宙ステーション(ISS)に水や

食糧などの補給物資、交換部品、

実験資材を運び、故障した機材や

不用品などを持ち帰る予定だ。

今回のミッションは12日間にわたり、

打ち上げが予定通りに行われれば、

7月20日に地球に帰還することに

なっている。

 スペースシャトルの打ち上げは

次回のミッションで135回目となり、

30年の長い歴史に幕を下ろす。

シャトルの設計と製造は1970年代

初頭に始まったが、初の宇宙飛行

は1981年、オービタの2号機

コロンビアにジョン・ヤング機長と

ロバート・クリッペン操縦士の2名

が搭乗して行われた。

 現存する機体はアトランティスを

含め3機あるが、そのうち2機は

すでにラストフライトを終えている。

引退後の3機は、スミソニアン航空

宇宙博物館別館、カルフォルニア

科学センター、ケネディ宇宙センター

見学施設の3箇所に分けて展示

されることになっている。

 スペースシャトルは従来のロケット

とは違い、飛行機型の機体で滑らか

に着陸できるので、繰り返し使うこと

ができ、打ち上げ費用を削減できる

ことを目的としていた。

しかし、1986年チャレンジャー、

2003年コロンビアの2度にわたる

事故で宇宙飛行士の命が失われ、

安全対策などに力を入れたため

打ち上げコストも増大していた。

スペースシャトルの輝かしい実績

の裏で発生した事故は、宇宙開発

の難しさと課題を浮き彫りにした。

NASAは2度の事故で14名の尊い命

を失っている。

 スペースシャトルはこれまで、

さまざまな実験設備だけでなく、

依然用途が明かされない国防総省

の人工衛星など、さまざまな物資を

宇宙へ運んできた。

1990年には、現代天文学の発展に

大きく寄与したハッブル宇宙望遠鏡

を軌道上まで搬送したほか、1997年

と1999年にはその修理にも赴いて

いる。

ハッブル宇宙望遠鏡の素晴らしい

観測・撮影装置は、宇宙に対する

私たちの理解度を高め、それと同時

に宇宙の新たな魅力を伝える別世界

のような画像をいまも送り続けている。

また、国際宇宙ステーション(ISS)の

建設にも、スペースシャトルは大きく

貢献してきた。

 NASAはシャトルに代わる宇宙への

人員・物資輸送用ロケットとして、

次世代有人ロケット「アレス1」の開発

に着手していた。

「アレス1」は、2005年に当時の

ジョージ・W・ブッシュ前大統領が

打ち出した「コンステレーション計画」

の中で、有人宇宙船「オリオン」を

宇宙空間に投入することを目的と

して開発が進められていた。

当初の計画には、新しい打ち上げ

ロケットや宇宙船、月面探査車の開発、

そして最終的には月の一方の極に

月面基地を建設する計画が盛り込ま

れていた。

 その後、オバマ政権に代わった

2010年にコンステレーション計画の

打ち切りを明らかにしたが、今年5月、

宇宙飛行士の輸送に特化したカプセル

型の「多目的有人宇宙船」(MPCV)

の概要を明らかにし、新たな宇宙開発

に取り組むことを発表した。

今後、NASAはMPCVで小惑星や

火星の有人探査を目指す。

Photograph courtesy Jim Grossmann, NASA

コピーライトナショナルジオグラフィック日本語公式サイト



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宇宙ゴミ、軌道上に1万8千個以上


Chou-Chou et Noir-宇宙ゴミ



メモ

June 30, 2011

 6月28日、JAXAの古川聡宇宙飛行士

が滞在する国際宇宙ステーション(ISS)

に宇宙ゴミが250メートルの距離まで接近し、

ISS滞在中の宇宙飛行士たちが宇宙船

ソユーズに一時避難した。

今回は事なきを得たが、地球上空の軌道

には主なものだけで約1万8000個の宇宙

ゴミが確認されている。

 ISSと宇宙ゴミの衝突の危機は2009年

3月12日にも起きており、今回が2度目の

ケースとなる。

その際も国際宇宙ステーション(ISS)のクルー

が同ステーションを自動操縦に切り替え、

“救命ボート”としての役割を持つ宇宙船

ソユーズに一時避難するという措置が取ら

れていた。

ソユーズは小型の宇宙船で、居住空間は

4立方メートルしかないが、降下時に使用

する生命維持装置と電源のほか、パラシュ

ート(予備含む)や着陸用ロケットも搭載

されている。

 宇宙ゴミは“space debris”の訳語。

debrisはフランス語で、がらくた、残骸、

瓦礫などを意味する。

軌道上をさまよっているため軌道デブリ

とも呼ばれる宇宙ゴミは、具体的には、

寿命が尽きて放棄された人工衛星のほか、

破損した人工衛星の欠片、分離したロケ

ットのステージ、宇宙飛行士の固形排泄物、

その他のさまざまなもの

(1965年の歴史的な宇宙遊泳で宇宙飛行士

エドワード・ホワイトがなくした手袋など)が

ある。

 知られている中で最古の軌道デブリは、

1958年に打ち上げられたアメリカの試験

衛星ヴァンガード1号で、1964年にすべて

の機能を停止したがいまだに軌道上にある。

最も新しいものの1つとしては、2009年2月10日、

アメリカとロシアの人工衛星が衝突し、500

を超える破片が宇宙にまき散らされた。

 人工衛星と同じように、低軌道デブリは

時速2万7000キロ以上の高速で地球の

周りを移動している。そのような超高速度

のため、微細なゴミであっても、稼働中の

人工衛星や宇宙探査機、宇宙遊泳中の

宇宙飛行士に衝突すれば衝撃は大きく、

深刻な被害をもたらしかねない。

NASAをはじめ、宇宙に関する国家機関は

軌道デブリを深刻な問題と捉えており、

既存の宇宙ゴミを減らし、将来のデブリを

抑制するためのプランを考えている。

 人工衛星と宇宙ゴミとの衝突事例は

これまでに4件記録されており、人工衛星

を破壊しまた新たな宇宙ゴミを発生させた。

宇宙ゴミは重力によって引き寄せられるため、

最終的には地球上に戻ってくることになる。

いままでのところ地球に落下した宇宙ゴミ

による死亡事故はないが、NASAの推定

では平均して1日に1個のデブリが地球に

落ちてきているという。

Illustration from European Space Agency via AP

コピーライトナショナルジオグラフィック日本語公式サイト





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ワシントンで展示、震災後の「手書き新聞」

$Chou-Chou et Noir-手書き新聞




メモ
東日本大震災後、手書きで発行された
宮城県の新聞が、ワシントン市内の
博物館で展示され、人々の高い関心を
呼んでいる。
その様子をワシントン支局・平野亜由子
記者が取材した。

 ワシントン市内にあるニュース専門
の博物館「ニュージアム」は、“報道
の自由”の大切さを伝えようと、
2008年にオープンし、今では年間
100万人近くが訪れる人気スポットだ。
ここではニュースに関するさまざまな
資料を見ることができるが、その一角に、
東日本大震災直後に、手書きで発行された
「石巻日日(ひび)新聞」が展示されて
いる。

 3月11日の東日本大震災後、宮城県
の地域紙を発行する石巻日日新聞社では、
浸水と停電の影響で輪転機(印刷機)が
使えなくなった。
しかし、記者たちは、震災翌日の12日
から6日間にわたり、毎日6部、紙に油性
ペンで記事を書き、新聞の発行を続けた。
完成した壁新聞は、周辺地域の避難所や
コンビニエンスストアなど、計6か所に
掲示され、被災した人たちの貴重な情報
源となった。

 この取り組みを3月22日付けの
有力紙・ワシントンポストが取り上げると、
ニュージアムの職員であるシャロン・
サヒードさんの目に止まることになった。
彼女は、この記事について、「通勤中の
電車で新聞を読み、いつもは読み終わった
ら捨ててしまうのですが、この記事を読ん
だ時は、記事を切り取って同僚に渡し、
『この人たちに連絡をとらなくてはなら
ない』と話したんです」と、当時の様子を
語る。

 サヒードさんの提案に、ほかの職員たち
も賛同した。
さっそく、日本語のできるブライアン・
ニシムラ・リーさんが、石巻日日新聞社に
紙面の提供を依頼した。リーさんは、
「(ワシントンポストの記事を読んで)
非常に感銘を受けて、石巻日日新聞社の
サイトを調べて、そこからメールを送り、
どうしてもこの記事の内容を見たいと
問い合わせました」と、当時の状況を語る。
このニュージアムの依頼に対して、
石巻日日新聞社は快諾。
4月の下旬に手書きで発行された6枚の
壁新聞が届き、5月2日から一般公開
された。
リーさんは、初めて紙面を見たときの
感想について、「思いのある感じはしたし、
内容も一生懸命手書きで書かれていること
がうかがえた。
また、住民の方を大切に思っておられ、
内容も明るく希望の持てる内容をたくさん
書いておられるのが非常に印象的でした」
と、語る。

 公開開始から約2か月。石巻日日新聞は、
ニュージアムの中でも高い関心を集めて
いる展示のひとつになっていると言う。
取材当日も、日本語を読めないはずの
アメリカ人観光客が、熱心に新聞に見入る
姿を見ることができた。
その感想を尋ねてみると、「こういった
新聞が作られたことは、何が起きているか
を人々が理解するのにとても役立つと思う」
「この新聞は素晴らしい。ここに書かれて
いるのは、人々に影響力を与えようとする
ニュースではなく、人々に勇気を与える
ニュース。
私はとても好き」と、新聞を高く評価する
意見が多かった。

 震災後の極限状態の中、記者たちが手書き
で発行し続けた壁新聞。
ニュージアムでは、その思いをできるだけ
多くの人に伝えたいとして、少なくとも
2011年末までは、展示を続けることに
しているという。
コピーライト日テレ



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