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7月4日のアメリカ独立記念日には
数多くの俗説が存在する。
今回は、そのうち9つの真相を紹介
しよう。
【 1. 独立宣言は7月4日に署名
された 】
独立記念日は本来、2日前に祝う
べきだ。なぜなら、独立宣言が
第2次大陸会議で可決されたのは
7月2日だからである。
第2代大統領となるジョン・アダムズ
は次のように妻へ書き送っている。
「この後、幾世代を経ようとも、毎年
この記念すべき日(7月2日)には
盛大な祝祭が催されるに違いない」。
アダムズは、ショーやゲーム、
スポーツの試合、銃声やベルが鳴り
響く通り、かがり火を焚いたセレモニー
やパレードを正確に予測していたが、
日付は読み違えていた。
独立宣言が実際に成文化されたのは
7月4日で、この日付が記された書面
が全土に送付されたため、7月2日は
すぐに忘れ去られてしまったという。
独立宣言への署名も、1776年7月
には一切行われていない。
1人目のジョン・ハンコックは8月2日
に有名な署名を大書し、全員の署名
が終了したのは11月の終わりだった。
【 2. ポール・リビアは1人で騎行した 】
愛国者ポール・リビアが1775年
4月18日夜、イギリス軍の動きを知ら
せるため伝令に走ったのは本当だ。
しかし何かに突き動かされた孤独な
騎行というイメージは間違っている。
原始的だが非常に効率的な早期警戒
システムの一部としてリビアは働いた。
そのシステムの一環として、ボストン
にあるオールドノースチャーチの使用
人ロバート・ニューマンは尖塔から
ランタンを2つ掲げて、イギリス軍の
接近を知らせている。
ただし4月18日の夜、リビアはその
合図を見ていない。
リビアともう1人の騎手ウィリアム・
ドーズは、別々のルートで
マサチューセッツ州レキシントンに
無事たどり着き、サミュエル・アダムズ
とジョン・ハンコックに対して逮捕される
可能性を警告した。
リビア伝説の「後先顧みない」イメ
ージは、事実が間違って伝わったの
ではない。
詩人で大学教授だったヘンリー・
ワーズワース・ロングフェローの詩
「ポール・リビアの騎行」で、リビアの
活躍が誇張して描かれたことが原因
である。
【 3. 1776年7月4日のパーティで自由
の鐘に亀裂が生じた 】
1776年7月4日、アメリカの独立を
祝うパーティは確かに催されたが、
愛国者がいくら喜んだと言っても、
自由の鐘に亀裂が生じるまで鳴らし
たりはしなかった。
それどころか、「アメリカ植民地議会
議事堂の鐘」とも呼ばれるこの鐘は、
7月4日当日には一切使われていない
という。独立宣言が初めて公に朗読
された7月8日に、その前触れとして
市内のその他の鐘と一緒に鳴らされ
たようだ。
鐘の亀裂は、元々の鋳造不良が
原因で、1752年の納入後すぐに生じ
ていた。
その後も再鋳造と亀裂の発生が繰り
返されたが、独立戦争の間は無傷
だったという。
【 4. 愛国者が集結し、自由を求めて
戦った 】
この根強いイメージは、独立戦争の
初期については正しい。
しかし、独立獲得への道のりは長く
困難だった。
多くのアメリカ人は次第に戦闘意欲
を失い、農場経営など生活面への
懸念を高めていった。
当初は志願兵が殺到したが、多く
の植民地では早くも1776年に金銭で
入隊者を募り、1778年末には徴兵制
に切り替わっていたという。
【 5. 独立宣言には秘密のメッセージが
隠されている 】
独立宣言に関する俗説の中には、
最近流布されたものもある。
例えば2004年の映画
『ナショナル・トレジャー』では、独立
宣言書の裏側に隠されたメッセージ
や地図が描かれていたが、実際には
存在しない。
ただし裏面に何らかの記述がある
ことは、アメリカ国立公文書記録管理
局も認めている。
羊皮紙の裏面には、
「Original Declaration of Independence,
dated 4th July 1776(独立宣言書の
原本、1776年7月4日)」との一文がある。
独立宣言書はサイズが大きかったため、
18世紀当時は持ち運びや保管の際に
ロール状に巻かれていたという。
この記述は、ロール状態でも文書を
識別できるように書かれたようだ。
【 6. ジョン・アダムズはトーマス・
ジェファーソンのことを考えながら死んだ 】
奇妙にも、ジョン・アダムズとトーマス・
ジェファーソンは共に1826年7月4日に
死去している。アダムズは最後に
ジェファーソンのことを考えていた、
死の床で「ジェファーソンは生き残る」
と言ったなどの俗説があるが、裏付ける
確かな証拠はない。
【 7. アメリカは反イギリスで団結した 】
独立戦争ではアメリカ人同士の
大規模な戦闘もあった。
イギリスの海軍博物館
(National Army Museum)によると、
アメリカ人の15~20%はイギリスを
支持していたという。
我関せずの姿勢で、戦争に巻き込ま
れないようにしていたケースも多い。
【 8. ベッツィー・ロスが最初の国旗を
作った 】
1777年にお披露目されたアメリカ
国旗について、デザインや縫製に
ベッツィー・ロスが関わったという証拠
はない。実際、この有名な女性裁縫師
の話は、約1世紀後に本人の孫から
広まった話であり、一家の伝承以外
に根拠はない。
【 9. 先住民族はイギリス側に付いた 】
「(国王は)年齢、性別、身分を問わず
無差別に殺害する非情で野蛮な
インディアンを、辺境地帯の住人に
対してけしかけようとした」。
独立宣言書にはイギリス国王
ジョージ3世に関するこのような記述があり、
多くの先住民が最終的にイギリス側で
戦ったことも確かだ。
しかし、ダートマス大学の歴史学者コリン・
ギャロウェイ氏によると、植民地側に付くか、
争いに巻き込まれないようにしていた
先住民も多いという。
Illustration courtesy Jean Leon Gerome
Ferris, Library of Congress
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